5年前の更新を再UPしました。
前回の続きです。
今回は舞殿から本宮前までです。
下図⑩から舞殿(下拝殿)方向です。
七夕飾りの吹き流しがあります。
向こう側に茅の輪が見えます。
1186年(文治2)義経と同行していた静は
鎌倉に捕らわれの身になっていましたが、舞
の名手だということで、頼朝の命をうけ鶴岡
八幡宮の若宮回廊(現在の舞殿は無かった)
で、義経との別れの悲しみを訴えて舞いまし
た。
『吾妻鏡』によると
若宮の回廊に舞台が設置され、工藤祐経が鼓
を、畠山重忠が銅拍子を担当して、静は白い
袖をひるがえし、歌声はは空いっぱいに響き
渡り、梁の塵を動かすほどの見事さで、見て
いた者は上下の別なく感動しました。
しかし、静が歌ったのは義経を慕う歌で、
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の
跡ぞ恋しき」
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて、山深くお
入りになってしまった義経様の跡が恋しい)
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を
今に なすよしもがな」
(糸を繰り返し巻いてできる苧環(おだまき)
のように、時をも繰り返して、華やかであっ
た昔と悲しい今を変えることができればよい
のに)
頼朝は 「八幡宮の御宝前で芸を披露するなら、
鎌倉幕府の永遠の栄華を祝うべきであるのに、
はばかることもなく義経を恋い慕って、離別
の悲しさを歌うとは、とんでもない」
として激怒しますが・・・
妻の政子は頼朝に「静の貞節さを思うと、
まことに趣深く感じられます」と言います。
この政子の話に頼朝は怒りを解いたそうで、
そして、卯花重(うのはながさね)の衣を
脱いで御簾の外に出すと、静はこれを頂戴
してうちかぶり退場したのだといいます。
反対の⑩から⑫の本宮方向は
大石段の左下の大銀杏跡に行くと
しめ縄飾りのある大銀杏跡は
今は跡継ぎの銀杏が育っています。
2010年4月1日に「残った根の部分か
ら新芽が出ていることが確認された」
と発表されました。その子銀杏が育っ
ています。
在りし日の大銀杏です。
2010年(平成22年)3月10日未明に、
倒れてしまいました。
(鶴岡八幡宮御朱印サイトより引用)
鎌倉3代将軍源実朝の暗殺
「源実朝は大石段の13段目で、銀杏に隠れ
ていた刺客に殺された」いう伝説があります。
しかし、当時の大銀杏はまだ大銀杏ではない
し、樹齢500年程度だそうです。実朝の暗殺
に関しての記述は『愚管抄』と『吾妻鏡』に
ありますが、どちらにも銀杏の木や石段の段
数の記述はないのです。なので後世のつくり
話のようです。
大石段を上がり振り向いたところです。
この反対側は
本宮の楼門です。
今回はここまでで、次回に続く
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