志苔館(続日本100名城) 3  大手口までとアイヌとの争い | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

前回の続きです。

今回は大手口までとアイヌとの争いです。

 

下図⑤から⑥方向です。

道の左側に東屋があり、

続100名城スタンプが

あります。

道の右側は御手洗いです。

 

Googleマップです。

⑤から進むと

 

上図⑥の少し手前から⑦方向です。

 

現在地にある地図です。

 

⑥から南方向は

 

⑥から南方向です。

海岸段丘の下に続きます。

 

中央部分をズームUPすると

津軽海峡の向こうに

下北半島が見えます。

 

⑥から⑦方向は

 

⑥から⑦方向です。

階段を上がり木橋の

手前は

 

現地案内板の図です。(上が北)

 

上図⑧の手前から⑨方向です。

カメラを右に回すと

 

堀の向こうが海岸段丘で

落ち込み志海苔漁港から

津軽海峡に続きます。

 

函館市Webページよりの写真です。

 

開口部には2重の堀があり、

他の3方は自然の沢を利用

して、沢を掘った土で土塁

を高くしています。

 

大手口側の内堀は木橋から

後に土橋になりました。

堀は薬研堀です。

 

築城当時は上図1の薬研堀でした、

しかし、後に上図2の箱薬研堀に

なっています。

 

⑧の木橋の上から北方向です。

 

上が北です。

 

⑨に行くと

⑨付近の土橋の上から北方向です。

この反対側は

 

⑨付近の土橋の上から南方向です。

 

下図⑩から⑦方向です。

海の向こう側には函館山

が見えます。

虎口には門柱跡があります。

 

上が北です。

 

1457年5月に起こったアイヌの

三大蜂起の一つ「コシャマイン

の戦い」は、コシャマインをリ

ーダーとするアイヌ軍が和人の

館を次々に襲撃した反乱です。

前年の1456年春、志濃苔では

アイヌの男性が鍛冶屋に刺殺

される事件が勃発。これが導

火線となり、翌年に大蜂起へ

と発展しました。戦いは数ヵ

月で武田(蠣崎)信広により、

コシャマイン兄弟を殺して鎮

圧されますが、和人とアイヌ

の対立はその後も、断続的に

約70年、厳密にはその後も

続いています。
刺殺事件のきっかけは、交易

のトラブルでした。製鉄技術

を持たなかったアイヌは鉄製

品を和人との交易に頼るしか

なく、マキリ(小刀)を和人

に注文しますが、その品質の

悪さと価格の高さで口論に

なります。ささいな出来事

のように思えますが、日常

化した和人の不等価交換や

物資の粗悪化に対して不信

と不満が蓄積した末の必然

的な出来事でした。コシャ

マインの戦いも、遅かれ早

かれ起こっていたことです。

アイヌは和人と交易してお

り、和人が不義理なことを

するので、何度もアイヌの

蜂起が起こりますが、その

度に、館の外にお宝を置い

て許してもらうようにして

いましたが、お宝を取りに

来たアイヌを射殺すことも

ありました。

アメリカ開拓で、移民した

白人とインデアンの関係に

近いものがあります。

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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