今回から北海道開発の原点となった、
道南十二館の内の1つである、志苔館
(しのりたて)の紹介です。
第1回目はその歴史です。
志苔館(続日本100名城)は道南十二館の
内で最も東側にある館です。
この付近からコシャマインとの戦いが起こ
りました。
1456年のコシャマインの戦いが、
志苔館付近から起こりました。
和人・アイヌの共同慰霊碑
和人・アイヌの共同慰霊碑解説板です。
上ノ国花沢館にいたのが、
勇者の武田(松前)信広
でした。彼がこの戦いを
終わらせました。
Google志苔館付近です。
北側に函館空港があります。
拡大すると
志苔館のGoogleマップです。(上が北)
館跡は四方に土塁が巡らされた
長方形で、沢地形などを利用し
て空壕が掘られています。土塁
で囲まれた郭内は、その大きさ
が東西70~80m・南北50~65
m、約4100㎡の規模で、北か
ら南へ緩やかな傾斜がある平坦
地です。土塁は北側が4~4.5m
で南側は1~1.5mの高さとなり、
西側に出入口があります。また、
北側と西側の空堀は幅5~10m、
深さ最大3.5mほどで、断面が
薬研または箱薬研の形状となり、
特に西側は土橋を挟んで二重壕
が掘られています。
発掘調査されて出来た図です。
函館市Webページより引用の写真
志苔館とその上側は志海苔漁港です。
(志苔を志海苔とも書きます)
大手口が2重の空堀になっているの
は、前回の勝山館と同じです。こち
らの方が古いので、勝山館がまねた
と考えられます。
志苔館が記録に登場するのは、
松前藩の史書「新羅之記録」中で、
長禄元(1457)年の項に,「…長禄
元年五月十四日夷狄蜂起来而,攻撃
志濃里之舘主小林太郎左衛門尉良景
…殺狄之酋長胡奢魔允…」と、康正
2(1456)年からの「コシャマインの
戦い」により、館が陥落したことが
記述されています。初代館主の小林
太郎左衛門尉良景は先祖が万里小路
藤房(南朝の公家)に仕え、祖父の
小林次郎重弘の時に、蝦夷島(道南)
に渡りました。さらに2代館主にな
った子供の小林彌太郎良定は、永正
9(1512)年の項にも「永正九年四月
十六日宇須岸志濃利與倉前三舘所
攻落夷賊…小林太郎左衛門尉良景之
子彌太郎良定…」と再度アイヌとの
戦いがあり、館が陥落の記述があり
ます。しかし、この後は館主であっ
た三代目館主の小林三郎右衛門良治
が、松前藩に従属したので,志苔館
が記録上に登場することはなくなり、
事実上廃館となったものと推定され
ています。
(函館市Webページより引用)
解説板です。
1934年(昭和9年)国の史跡に指定
1968年(昭和43年)中国銭が大量
に出土する
1983~1985年 函館市教育委員会
によって発掘調査される。
2017年(平成29年)4月に続日本
100名城(101番)に選定されました。
今回はここまでで、次回に続く
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