貝塚寺内町  13 利齋家と竹本家 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は利齋家と竹本家です。

 

 

下図①付近から⑦方向です。

掘之町通が見えます。

左右の広い道は現代の

紀州街道です。

 

貝塚市寺内町文化財地図です。

 

道を渡り近づくと

 

堀之町通りです。

中央奥のビルは北小学校です。

 

⑦の交差点です。

右側が利齋家です。

 

⑦の交差点から北方向の御下筋です。

道の右側が利齋家の土蔵です。

左側も立派な家ですが、登録

文化財ではありません。

 

 

 

感田神社の祭りばやしです。

 

感田神社の祭りです。

 

江戸時代中期建築の利齋家です。


利齋家が所蔵する「三宅氏系図」によると、

先祖の式部という人物が松尾寺(現和泉市

にある天台宗寺院)に出家していましたが、

織田信長の兵乱(1581年)後に貝塚に

来住したという旧家です。代々「孫左衛門」

を名乗り、薬種問屋を営み、江戸時代を

通じて北之町の町年寄役をつとめていま

した。

 

利齋家です。


当家住宅は堀之町筋と御下筋が交差する

角地にあります。主屋は堀之町筋に南面し、

その背後に中庭を隔てて離れが建ち、西

側の御下筋に面して土蔵が建ちます。

主屋は後の改造が大きいですが、原形が

17世紀まで遡る可能性を持っています。

離れは暖炉のタイルや窓のステンドグラ

スなどの装飾が残り、洋風の趣きが感じ

られます。

 

貝塚市文化財マップです。(右が北)

 

利齋家の隣にある竹本家です。

 

北町の竹本家住宅は堀之町筋に南面し、

利齋家住宅の東隣に位置します。

当家は昭和初期まで貝塚市特産の黄楊

(つげ)櫛製造業を営んでいました。

東西の主屋はもともとは別構造の2軒

の民家建物です。東主屋(手前)は桁行

2間半の小規模な町家で、後の改造も

多いですが、江戸時代の小規模な町家

の様子をしのぶことができます。西主屋

は間口3間半の昭和7年(1832年)頃

建築の町家で、貝塚における幕末の近

代町家の一例です。

 

坂の上まで歩き、歩いて来た道を

撮影しました。

左側は北小学校で卜半家政庁だ

った所です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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