丸岡城の紹介3 天守1階まで | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

昨日の続きです。

天守前の広場からです。

 

昨日は天守のある本丸まででした。

2重3階の天守ですが、天守台石垣

が高いので、4階の高さがあります。

2018年3月15日なので椿が咲いています。

 

丸岡城の解説石碑です。

 

こちらは加賀前田家の方向で、

丸岡藩には前田家を見張る役目

がありました。

 

石碑がありますが、明治時代のもので

天守が町に寄贈され整備されたときの

記念碑です。

 

明治時代の丸岡城古写真です。大手門方向からの撮影です。

手前は二の丸ですね。

門などは競売で無くなっています。

 

 

 

これも明治時代の古写真です。

 

笏谷石で造られた鯱です。

福井地震で天守が倒壊する

までの鯱でした。古写真に写

る鯱です。現在は木製銅板

張りの鯱です。

 

天守に上がります。入口までの石段が長いです。

 

2重3階の天守です。1階部分の下部は板張で、さらにその下の天守台との隙間には、

スカートの様な板張がありますが、これは雪や雨の水が内部に入らないようにしてい

ます。右側に見える1階の窓は石落としです。

入口を入ると

入口を入った所です。左に見える掃き出し窓は石落としです。

 

御城のジオラマが展示してあります。

 

御城のジオラマがあります。

 

1階にあるジオラマです。

奥と左側の掃き出し窓は石落としです。

 

全国の天守写真の展示があります。

その他にもいろいろな展示がありました。

一部の史料を紹介すると

 

1647年の古地図です。

 

 大坂夏の陣で真田幸村と激突する、

越前勢の中に本多隊の姿もあります。

この働きで、幕府に反抗的だった福井

藩主忠直が豊後国に流罪にされると、

本多成重は4万6300石に加増され、

福井藩から独立した大名として取り立

てられます。成重とその子・本多重能、

そして孫の本多重昭の3代は検地・

城下町の整備・新江用水の新設など

、藩政の確立に尽力します。しかし、

重昭の子・本多重益は酒色に溺れて

無能の上、家臣の本多織部と太田又

八の間で内紛が起こり、幕府の知る

所となり、遂に元禄8年(1695年)に

幕命により改易されます。 

 

人間の背丈ほどの穴を掘って、柱を立てた掘っ建て柱

は根元が腐り易いので、通し柱ではありません。そうす

る事で柱の取り換え工事が容易になります。

2重3階の天守は階ごとの柱を使っています。

 

1階内壁の様子です。ストロボ撮影しました。

 

1階の内壁の様子で、狭間があります。ストロボ撮影しました。

 

二階への階段です。急な角度なのでローブが付いています。

 

2階に上がるところです。

 

今日はここまでです。明日は2階と3階です。

 

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