昨日の続きです。
今日は土岐門から本丸までです。
土岐門から少し行くと、畳橋があります。
下図⑧の畳橋付近です。左側の石垣の上に畳橋がありました。
1718年の岩村城の古地図です。
この古地図で番号順に紹介しています。
畳橋の解説板です。赤線のように空堀を歩いています。
正面石垣の上に3重櫓がありました。手前は空堀で左側に畳橋がありました。
畳橋の橋桁址でしょうか?石垣に段が見えます。
城下町から天守相当の3重櫓が見えたそうです。
空堀の奥に石段(江戸時代後期以後のもの)があるので、上の枡形に上りました。
石段を上った所です。この石段の上が枡形でした。
枡形の上から撮影しました。正面の石垣が畳橋のあった石垣です。
道になっているところは空堀址です。ここに畳橋を書き込むと
赤い線で畳橋を書き込みました。敵が来たときは、
橋の床板を外して使用不能にします。
枡形跡です。
左側が枡形跡で手前が追手門(大手門)の址です。
3重櫓と追手門枡形の解説板です。江戸時代に3重櫓は岩村城唯一の
三層櫓で、天守に相当しました。
岩村城と岩村藩城下町の絵図です。
赤い通りが昔の本通りでした。岩村城址の方向を向いています。
城下町本通りから岩村城方向です。(もらった観光マップより引用)
江戸時代は山の中腹に3重櫓が見えました。
さらに歩くと
追手門をぬけたところで、下図⑨の位置です。本丸まで200mです。
左右の石垣の上は武家屋敷でした。
1718年の岩村城の古地図(上半分)です。
この古地図で番号順に紹介しています。
龍神の井戸です。
右端に龍神の井戸が見えます。
さらに歩くと⑩の霧が井戸があります。
⑩の霧が井戸です。城主専用の霊泉です。
岩村城には17か所の井戸があり、枯れるこ
とも無く現在も水をたたえています。
霧が井戸です。この城が「霧が城」と言われる原因の井戸です。
敵が攻めてきた時に、この井戸に城に伝わる蛇骨を投げ入れると、
霧が湧き出て城を霧で隠したと、「巌邑府誌」にあります。岐阜県
の名水50選に選ばれた井戸です。
さらに歩くと左側に
古地図⑪のところです。八幡神社の石段が見えます。
八幡神社の石段です。この入口に鳥居が描かれています。
八幡神社の解説板です。地頭時代からの城主遠山氏の氏神です。
さらに進んで、屋敷跡から見たところです。
1718年の岩村城の古地図です。
さらに直進した突き当たりに
俄坂門跡です。戦国期までの400年間の岩村城の正門です。
2層の櫓門が構えられていました。
左側が俄坂門で、右側が菱櫓です。
ここで右に曲がると
右側の石垣は地形に沿って石を積んだので、ひし形になっています。
その上の櫓もひし形でした。なので菱櫓と呼んでいます。
さらに進むと
古地図⑫の六段壁です。古地図では上の方だけが石垣ですが、
崩れそうになり、江戸時代後期に下の方にも石垣を積みました。
ここにも井戸があります。
さらに進むと
右側が六段壁です。
さらに進んで撮影すると
下図の⑫から⑬へ上がる石段です。この上が本丸です。
1718年の岩村城の古地図なので、まだ六段壁は描かれていません。
長くなるので今日はここまでです。
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