昨日の続きです。
元旦は親戚の家の近所にある、高津神社まで初詣に
行きました。高津神社は仁徳天皇の宮があった所で、
民のかまどの話と、落語の高津の富くじで有名です。
高津神社本殿です。100mほど参拝の人が並んでいました。
後日このことをUPします。
元旦の日の出は寝ていて見れなかったですが、夕日と月が
きれいでしたので撮影しました。
西の山に沈む太陽です。
夕焼け雲がJの字型になっていました。
元旦の月の写真も撮影しました。
今日も江戸時代の大坂の町紹介です。
大阪歴史博物館の一部の史料を引用しています。
江戸時代の大坂の支配体制です。大坂市中を3郷に分けて惣年寄
を置いていました。
大阪湾で干拓が進んでいます。
中心部を拡大すると
天満のあたりは
天満の風景です。大川が描かれています。天満は石山本願寺の寺内町への
青物を供給する所として発展しました。上図の下側欄外にその寺内町があります。
天満青物市です。
天満の青物市です。
大川の橋の再現です。
大川の橋の再現です。2つあります。
堂島の米市場です。
西日本から集まる、年貢米の取引などをして繁盛していました。
次は住友銅吹所です
長堀茂左衛門町の住友銅吹所の絵図です。

江戸時代に全国の銅山から産出した荒銅(粗銅)を大坂に集積し、
南蛮吹により少量含まれる銀を分離し精銅(99.9%)を製造しまし
た。これは輸出用の御用銅を確保し銅地金の流通を幕府が管理す
る目的で設立されたものでした。
銅吹屋の中心となったのが泉屋(いずみや)で、後の住友財閥発展
の基礎となりました。泉屋は元和9年(1623年)に内淡路町に銅吹
所を開設します。寛永13年(1636年)に長堀茂左衛門町に移転し、
最大の銅精錬所となり国内の約3分の1を精錬しています。このほか
にも大坂屋(おおざかや)、平野屋(ひらのや)、大塚屋(おおつかや)
などの吹屋があったそうです。
住友系の会社が模型製作の資金を出しています。
長堀茂左衛門町の住友銅吹所復元図です。
住友家の本宅が赤線の右側にあります。
住友銅吹所泉屋の模型です。左側が住友家の家です。
手前が絵図の上側です。
住友銅吹所泉屋の模型で工場部分です。
猫のクウちゃんをカキカキする、オウムのマイちゃん
の動画をお借りしました。(1分52秒)
今日はここまでです。続きは明日UPします。
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