旧古河庭園の紹介1 本館と洋風庭園 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

3日おきに更新しています。

 今日は旧古河庭園の洋館と西洋庭園の紹介です。

古河財閥初代の古河市兵衛は、京都の豪商・小野組で、生糸の買い付

けをしていた、古河太郎左衛門の養子となります。商才を発揮して小野

組東京店の番頭になりました。また、足尾銅山など鉱山経営にも手を出

します。この洋館が造られたのは、鉱山経営から40年ほど経た時です。

それは第1次大戦の好景気の頃でした。大戦後の世界恐慌で古河財閥

は巨額の負債をかかえ破綻します。古河銀行は1931年(昭和6年)に

第一銀行に吸収されました。鉱山経営も足尾鉱毒事件や労働争議で

しみました。

 旧古河邸のある西ヶ原の敷地は、かつては明治の元勲陸奥宗光の

邸宅があった場所で、宗光の次男潤吉(潤吉は古河家2代目当主)が、

古河家に養子に入ったことで古河家の所有となります。大正3年頃に

古河家3代目当主の、古河虎之助(初代市兵衛の実子)が本邸建設

のために隣接する土地を買収して約1万坪(約3.3Ha)の敷地にしま

した。

本館建物と西洋庭園はジョサイア・コンドルが設計して、大正6年5月

に竣工します。

本館建物です。この位置が西洋庭園です。昨日、ダイハツ工業の車の

CMで使われるのを見ました。

 

西洋庭園です。

 

説明板です。

 

旧古川邸の地図です。(都公園のWebページよりの引用です)

 

  第二次世界大戦中は陸軍に接収されます。南京国民政府成立前には、

汪兆銘が匿われていた事もありました。終戦後は連合軍に接収され1926

年(大正15年)に虎之助夫妻が牛込市谷船河原町に転居した後は、古河

家の迎賓館として使用されます。終戦後はイギリス大使館付駐日武官の

宿舎などに利用されました。財閥解体の時に、財産税の物納で国有財産

になります。後は東京都に無償で貸し出され、1956年(昭和31年)4月

30日に庭園のみが、都立公園として開園します。その後も洋館は半ば放置

された状態で荒廃が進みます。接収解除された昭和27年から無人の状態

が約30年ほど続き、蔦に覆われて近所でお化け屋敷と称されていた

時代もあります。シャンデリアは落ち、ガラスは割られ、土足で人

が入り室内で焚き火をした形跡まであったといいます。1982年(昭和

57年)から12989年(平成元年)まで、7年をかけた修復工事により現在

の状態まで復元されます。2006年(平成18年)には、大正時代初期の

形式をよく留める庭園が評価され、国の名勝に指定されました。

 

昭和57年に文化財指定されたことをきっかけに、本館建物も修復工事が

始まり、6年の歳月を経て、平成元年より財団法人大谷美術館(古河邸の

本館)によって一般公開が開始されました。

 

 大谷美術館の大谷氏とは、鉄鋼業・ホテルの経営で知られる大谷米太郎

(1881~1968年)が晩年に計画して、実現を見ずして世を去った人です。
大谷米太郎は富山県の農家から身をおこし、無学文盲にもかかわらず努力

を重ね幾多の事業を起こした立志伝中の人物と言われています。 30歳で

単身上京し、日雇人足から大相撲力士、酒屋の経営を経て、鉄鋼業、観光

業、流通業等多くを起業し、大谷重工業(株)、ホテルニューオータニ、(株)

テーオーシー等の創業者です。

 

本館は現在、財団法人大谷美術館が洋館の管理を行っています。洋館内部

は1日3回の、時間を決めて行われているガイドツアーに参加すると見学可能

です。本館部分の1階から2階までを解説付きで見学できます。(所要時間1

時間、見学料800円入園料別)自由に内部の見学が出来ないので注意が

必要です。 この見学会は往復はがきでの事前予約が原則ですが、当日に

予約の空きがあれば予約がなくても参加可能です。ただし、今のようにバラ

の開花時期には予約が定員を超えることも多いので、予約をしておくと確実

で待ち時間なく見学会に参加できます。 また、洋館1階の一部には喫茶室

が設けられており、春と秋には窓越しにバラ園を望みながらお茶を飲むこと

ができます。この喫茶室にも時間になると見学ツアーが入ってくるので、お茶

を飲みながら説明の一部分をツアー参加者と一緒に聞くこともできます。 

また、結婚式やコンサート等で洋館を貸し切ることも可能で、大正時代の洋館

での記念行事は、雰囲気が良く人気のようです。文化財という場所柄の特別

な条件や制約もありますが、申し込みは誰でも可能で、諸条件は電話での問

い合わせや実際に下見に行って聞けます。(貸切日の洋館内部の公開は休

止となります)

 

 今日はこの洋館の紹介をします。

旧古川邸の地図です。

 

正門を入ると左に売札所があります。

正門と売札所です。

 

右に歩いていくと

洋館が見えてきます。

 

サンルームの上の2階は和室です。(後に紹介)

 

そのまま進んで、

樹で見え難いですが、旧古河邸の正面全景です。

 

洋館の端が見えます。

 

洋館の左端にサンルームがあります。

 

サンルーム内部です。

 

裏に回った所です。

 

裏のベランダです。

 

江戸時代の古地図です。この古地図にある川の

河岸段丘を利用しているので、南側の庭の部分

は低くなっています。

 

洋館から南の日本庭園に歩くと、

左右の生け垣はバラ園です。

 

バラ園の下にはつつじ園があります。

 

もう一度、邸内地図です。

 

左右につつじ園が見えます。この位置は日本庭園の入口です。

3段テラスの洋風庭園です。

 

洋館に戻ります。(以下は都公園小冊子から一部を引用)

内部の間取りは

1階は主に応接用に使われました。

 

玄関を入った所です。

 

さきほどのサンルーム隣のビリヤード室は

ビリヤード室でその台の足跡が見えます。

 

食堂です。天井の漆喰で出来た模様がきれいです。

 

2階に行くと

古河家の日常の場でした。

 

本床のある客間です。

 

主寝室の隣にある更衣室です。

 

2階には畳の部屋があり、外観の洋風と違和感があります。

和洋の様式を折衷することなく巧みな構成で和洋の調和を

図っています。和と洋を共存させる手法は庭園の配置にも

見られ、古河邸の大きな特色となっています。

その他、和風の仏間や、丸いお風呂があります。和室の子

供室もありその前の廊下の外はベランダでした。

1階べランダと2階のベランダです。

 

関東大震災の時には避難所になり、約2000人もの人が一時

避難していたこともあります。

 

インコのぴよたんのおしゃべり動画をお借りしました。(1分30秒)

たべもののおしゃべりです。

今日はここまでです。明日は和風庭園の紹介です。

 

読者募集中ですので、読者登録お願いします。

希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。

どちらもチェックを外して「読者とわかるように」に設定して登録してください。

 

よかったら、お願いですが下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ

                         ブログランキング・にほんブログ村へ                            

 ブログボタン押しよろしく→お願いします。