真田邸(松代最大の武家屋敷)の紹介 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今日は藩主御殿の真田邸の紹介です。松代最大の武家屋敷です。

江戸時代では大名の妻子は人質として、生涯江戸住まいでした。

しかし、1862年(文久2年)に、将軍の徳川家茂がおこなった、

「文久の改革」による参勤交代制度の緩和にともない、妻子帰国

が許されるようになりました。そのため松代にも屋敷が必要になり、

藩主真田幸教の義母・貞松院(ていしょういん)のために、1864

年に建てられたのがこの御殿です。当時は新御殿と呼ばれました。

隠居後の幸教(側室の子供でした)もここを住まいとし、明治以降

は、伯爵となった真田氏の私宅として利用されました。

その後1966年(昭和41年)に代々の家宝とともに松代町(現在:

長野市)に譲渡されました。敷地は7973平方メートル(2416坪)

で、建物の建面積は1346平方メートル(約408坪)です。一部2

階建てとなっています。

当初は幸教の義母・貞松院(ていしょういん)の住居でしたが、

明治以降は真田家の私的住居となったことから、「真田邸」と

も呼ばれています。
 御殿(主屋)は、表座敷や居間・湯殿など、江戸時代の大名

邸宅の面影をよく残しています。ほかにも真田家伝来の大名

道具が納められていた7棟の土蔵や、表門、往時の姿を残

す庭園など、全体が残っている「御殿建築」は、全国にもほと

んど例がなく、非常に貴重なものです。このため、昭和56年

(1981年)には、松代城とあわせて国史跡に指定されていま

す。(国史跡 松代城跡附新御殿跡)

御殿には35の部屋があり、外部の人間が出入り出来る「表」

の部分と、生活のための私的な「奥」の部分とに分かれます。

それぞれの部屋は、用途によってつくりや大きさ、唐紙(壁紙)

や装飾などに違いがあります。平成17年に修理が完成して、

公開されました。

明治29年の真田邸の図面です。

 

真田邸の正面表門(冠木門)です。門の右が北長屋で

左が南長屋です。

 

玄関式台です。藩主用ですが、ここから上がります。

この右にも使用人用の玄関があります。

 

玄関式台です。「体感!!戦国の絆」と題したイベントが、

今年の12月12日まであります。それで玄関に大坂の陣

の屏風(複製)が展示してあります。その他にもNHK大河

「真田丸」関連の衣装や小物が展示してありましたが、す

べて写真撮影禁止でした。

 

「奥」各部屋には違う襖絵が描かれています。

 

玄関を上がり、左側を見たところです。

 

真田御殿間取り図です。

現在地とある所から、表座敷と書いてある所に行きました。

 

表座敷です。

 

ここから先は私的な「奥」になります。

御寝所です。

 

奥の部屋が御居間です。

 

御居間です。襖絵がきれいですね。

 

御居間の南側にある縁側から、入口方向を見ました。

 

御化粧の間です。

 

御化粧の間です。

 

この先には御湯殿があります。

御湯殿です。床が傾斜しているので、お湯が流れ落ちます。

 

「表」の入口方向に戻り

執事・事務方などがいた御役所です。

 

外の庭園に出ました。

御役所を外から撮影しました。

 

長いので、もう一度屋敷図です。

 

御殿側から庭を撮影すると

 

 

御殿側から見た庭園です。

 

上の写真と同じ場所から描かれた日本画です。

9代藩主真田幸教に好まれた庭園は、「水心秋月亭

(すいしんしゅうげつてい)」と名づけられました。心字

池を中心に三尊石・滝口を南東に配した庭園ですが、

ノロシ山をはじめとする周囲の山々を借景として取り

込んでいます。池の水は城下町南部武家屋敷地の

複数の「泉水(せんすい)」(庭池)を経て真田邸に流

れ込んでいます。

 

庭園にある1番と3番土蔵です。ここでは手造り体験

などが出来ます。

 

泉水枡です。

 

泉水枡の解説板です。

 

左側は邸宅南側の塀です。

この先に屋敷神があります。

鎮守の屋敷神です。

 

北側の主屋を見ると

主屋の御殿です。

2階は立ち入り禁止でした。

 

今日はここまでです。

明日は恩田木工民親の紹介です。

 

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