上田城の紹介3 二ノ丸の紹介 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

昨日の続きです。

高畑容疑者の母が、幸村(信繁)の母役ですね。

性欲を抑止できない人がいるのは困ったものですね。

現在の上田城は、三ノ丸がほとんど市街地化されましたが、

二ノ丸・本丸は何とか残っています。

これから二の丸にある3つの虎口の紹介です。

最初は二ノ丸東虎口からです

現在の東虎口の二ノ丸橋です。現在の橋の下は空堀です。

 

橋の横に堀下に降りる所があります。

 

堀底への階段です。

 

堀底から見た二ノ丸橋です。1927年に堀底を鉄道が

通過することになり、コンクリート製になりました。

現在は廃線になり遊歩道になりました。

 

 

堀底にガクアジサイが咲いていました。

 

橋の上に戻り橋の上中央から堀を見ると

ここの堀底道を行く(南へ)と、無料駐車場に行けます。

現地

 

現地の案内板です。

 

東虎口は土橋でしたが、1927年に上田温泉鉄道

が堀底を通過することとなり、この時にコンクリート

製の二ノ丸橋となりました。

 

東虎口の石垣の上に、平和の鐘があります。

 

平和の鐘です。

 

江戸時代は町中にありましたが、昭和9年にこの場所

に落ち着きました。

 

東虎口から大河ドラマ館(旧上田市市民会館)を見たところです。

 

二ノ丸東虎口を入った所です。

 

1645年の古絵図です。二ノ丸には3つの虎口があります。

この年には仙石氏が城の再建をしています。絵図から分か

るように、どの石垣の上にも櫓がありません。初代の仙石

忠政は1622年に真田信之の松代移封により、上田藩の

藩主(6万石)になります。1626年より上田城の復興工事

に着手します。しかし。1628年に病没しますので、上田城

普請は中止されました。以後明治維新までこのままでした。

仙石忠政は二の丸にも櫓を建てる予定でしたが、無念の

病没でした。

東虎口は現在、かなりの石垣が取り払われています。

 

関ケ原の戦いで、天下の名城と言われるようになりました。

1600年の秀忠は3万8千の軍勢の間違いかと思います。

 

上田城の歴史説明板。

明治7年に上田城払い下げがあり、その時に本丸周辺を

一括購入した、丸山さんが松平(現真田)神社創建時に、

神社に土地の寄付をし、残りを公園用地として市に寄付

しました。

 

もう一度現地絵図です。

読者の方から駐車場について質問がありましたので、

二ノ丸橋からの行方です(逆をたどれば上田城です)

二ノ丸橋から空堀底を南に行くと

空堀南側底の突き当りです。右に行くと駐車場です。

看板があります。

 

手前の櫓が本丸の南櫓です。(上の地図にあります)

 

本丸南櫓を拡大した所です。一番低い所は昔

千曲川が流れていましたが、埋め立てられて、

公園・駐車場になっています。本丸の水堀が高

い位置にあるのは、神川用水で神川から注水

していたためです。現在は水道水です。

 

1645年の古地図です。城の南側には千曲川が

流れていました。

 

無料駐車場と西櫓です。西櫓は仙石時代からある唯一の櫓です。

 

 

本丸南側の西と南櫓と無料駐車場です。

 

長くなるので、今日はここまでです。

明日は二の丸の西と北の虎口を紹介します。

 

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