大ヶ塚に戻ります。下の地図⑧からです。
石碑の向こうに大念寺があります。融通念仏のお寺です。
大きな駐車場は竹綱家の跡地です。駐車場の中央には庭
の跡らしきものがあります。
竹綱家の解体工事が2012年にありました。解体
工事中の写真です。竹綱家は大ヶ塚でも一番の豪商で、
昭和50年くらいまで造り酒屋を営んでいました。
ここ河南町の初代町長がここの竹綱さんでした。
周辺には今も竹綱の名字の家が数軒ありました。分家
と思います。
大念寺の本堂です。たまたま
ご住職さんに会ったので、石川源氏の流れを汲む家が
近くにありませんかと聞くと、残念ながら無いという
ことです。
大念寺の南側にある豪商の家で、現在も住まわれてます。
明治20年頃の大ヶ塚の地図です。
1689年(元禄2年)に貝原益軒がここを訪れて、
「南遊紀行」で町の繁栄を書き残しています。
大念寺と写真左端に善正寺の写真です。
最後に幕末に適塾で学び天誅組に参加して十津川
で捕まり、明治まであと3年なのに京都で刑死し
た長野一郎(本名吉井)の石碑が下にあります。
長野一郎(本名:吉井儀蔵)の石碑(なんと明治になり勲章を授かって
いました。明治維新の魁となって散ったことが評価されたのでしょう。)と
左側には吉井家代々の墓があります。古い墓は浄土真宗の釈という法名
ですが、戦後の墓石は戒名が院号つきでした。真宗といえばみんなが釈の
法名でした。でも近年は100万円出せば院号がいただけるとかで、経済
的に豊かな方でもらう人がいると聞きます。本山に届けなければ50万円
でもいいらしいです。








