
いつぞやかに読んだアドラーのお話。
ある日、アドラーの元に一人の男が来た。
男は妻に先立たれ悲しみに暮れる日々を過ごしていた。
男「先生、私はただただ悲しいのです。この悲しみに意味なんてあるのでしょうか。このような人生に意味なんてあるのでしょうか。」
アドラー「ではお聞きします。もしあなたと奥様の立場が逆だった場合、あなたが先に逝ってしまった場合、残された奥様はどのように感じると思いますか。」
男「きっと悲しみに暮れると思います。」
アドラー「なるほど。ではこう考えてください。あなたが残されたことで奥様に代わってその悲しみを背負っているのだと。あなたの今は奥様
を悲しませないためにあるのだと。そう考えればその悲しみにも意味があると思えませんか。」
確かこんな感じだったと思います。
(うろ覚えなので間違えてたらごめんなさい)
大事な人に先立たれると残された方は深い悲しみに襲われます。それは大切であるほどとても深く、そして長く続きます。
でも、先に逝った方はそれを望んでいるでしょうか。自分のせいで大切な人がいつまでも悲しんでいるのをよしとするでしょうか。
別れた大切な人のためにも、何より自分のためにも悲しみを乗り越えていかなければいけないと思います。
でもどうすれば?
一つの方法が先ほどのアドラーのお話だと思うのです。つまり、その悲しみに意味をもたせるということ。
もちろんこれが唯一絶対の方法ではないでしょう。でも少なくとも僕はこのお話のお陰で辛うじて前を向いて生きていられます。そしてそれができるのは残された者のみ。
誰にでも訪れる大切な人との別れ。そんなときのために、また自分の大切な人のためにもこの話を心に留めておいていただけると幸いです。