
今日は、ぼくが長年にわたって瞑想を実践し、教えている理由の「根っこ」にある話をしたいと思います。
苦しみには、2種類ある
仏教の出発点はシンプルです。
「生きることには苦しみが伴う。どうしたら、そこから解放されるか?」
「苦しみ」と聞くと、多くの人は人間関係・健康・仕事・お金といった具体的な問題をイメージするでしょう。もちろんそれもある。
でも、お釈迦さまが指摘したのは、もう一段深いところにある苦しみです。
ぼくたちは欲望と嫌悪のあいだを行ったり来たりしている。
しかし、他人も世の中も、そちらに合わせてはくれない。
だから、具体的な問題がひとつ解決しても、また次の欲望や嫌悪が生まれる。
イタチごっこは終わらない。
つまり、ひとつひとつの苦しみの背後に、
そもそも「苦しみが生まれてくるしくみ」のようなものがあって、
そこから自由にならないかぎり、
人は何度生まれ変わっても自由にはなれない。
──それが、お釈迦さまの言う「生きることの苦しみ」の本質です。
なぜ、その苦しみは生まれたのか
ここで、すこし大きな視点に立ってみます。
お釈迦さまが生きた紀元前500年ごろ、世界では不思議なことが起きていました。
中国:孔子・老子
ギリシャ:ソクラテス・プラトン・アリストテレス
中近東:ゾロアスター教・ユダヤ教
インド:仏教・ジャイナ教
地球上のあちこちで、ほぼ同時に哲学的・宗教的な思想が花開いたのです。哲学者カール・ヤスパースはこの時期を「枢軸時代」と呼びました。
なぜ、この時期に?
人類が狩猟採集から農耕へと移行し、集落をつくり、文字が広まり、貨幣経済が生まれ、都市国家どうしが争うようになった。
つまり、人が「自然」とともに生きることから離れ、「考える」生き物になっていった時期と重なります。
「苦しみからの解放とは?」「幸せとは何か?」「人は何のために生きるのか?」
——こうした問いは、問題が先にあって後から気づくのではない。
「考える」という行為と、「存在の問い」は、セットで生まれる。
欲望と嫌悪のいたちごっこもまた、「考える」ことと切り離せません。
だから、「考えるのをやめる」ことが出発点になる
ぼくの提案もまたシンプルです。
「考える」ことで問題を解こうとするのではなく、「考えるのをやめる」ことで、問題から離れる。
「自然から離れて考える」状態をデフォルト(標準状態)にしない。
「自然から離れて考える」ことを完全にやめることはできないし、適切でもない。
でも、それが「不自然」な状態であるなら、当たり前にはしない
——それだけのことです。
休日に海や山でのんびり過ごすのが心地いいのも、じつはその理由からです。
そして、より日常的な方法として、ぼくが長年実践し、多くの人にお伝えしてきたのが「瞑想」です。
「こうすれば幸せになれます」「問題が解決します」という話ではないので、少し分かりづらいかもしれない。
でも、この方向性以外では、根本的な問題解決は難しいとぼくは思っています。
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