【風狂の人】6260
ひろさちや氏の心に響く言葉より…
一休禅師は自分の名前について、こんな歌をよみました。
「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰る一休(ひとやす)み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
一休にとって、この世はほんの「一休み」の場所なんです。
だから彼は、
「よの中はくうて糞してねて起きて さてその後は死ぬるばかりよ」
と思っています。
あまり、この世に執着していなかったようです。
一休を評して、多くの人が、「風狂(ふうきょう)の禅者」 と呼びます。
「風狂」とは、常軌を逸脱している人です。
一休に「風狂」の名を最初に冠したのは、彼の師であった華叟(かそう)でありました。
一休が二十九歳のとき、大徳寺如意庵で華叟の師の三十三回忌が行われました。
大勢の僧たちが盛装に威儀を正して出席しています。
ただひとり一休は、色褪せた墨染の衣にすり切れ草履。
「なぜ盛装せぬか?」と華叟に問われて、 「あんな贋緇(がんし/ニセ坊)の仲間入りはごめんです」 吐いて捨てるがごとくに答えました。
その法要のあと、休息している華叟に一人の僧が尋ねました。
「和尚百年ののち、法を伝えるのは誰ですか?」
間髪を入れず華叟が答えます。
「風狂と道(い)ふと雖(いえど)も、箇(こ)の純子(宗純。つまり一休)あり」
あいつはまちがいなく狂っとるけれども、わしの法を伝える者は一休しかおらん。
師の華叟は、一休を高く評価していたのです。
「狂っとる」と言われてもいいのです。
いや、禅の世界では「狂い」が名誉勲章ではないでしょうか。
室町後期に編纂された歌謡集の『閑吟集(かんぎんしゅう)』に、こんな歌があります。
《何せうぞ くすんで 一期(いちご)は夢よたゞ狂へ》
何になろうか、まじめくさって。
人間の一生なんて夢でしかない。
ひたすら遊び狂え!
そういった意味です。
室町時代は、南北朝の統合のあった明徳三年(一三九二)に始まるそうですから、その二年後に生まれた一休は、まさに室町時代の人間です。
『閑吟集』のこの歌は 一休の心境とぴったり一致しそうです。
狂うということは、まじめ人間でなくなること、常識外れになることです。
禅は常識を嫌います。禅は非常識である。そう断言してもよいと思います。
『坐らぬ禅』佼成出版社
『 有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰る 』
有漏路(うろじ)とは、煩悩(ぼんのう)のこと。
無漏路(むろじ)とは、煩悩のない清らかな世界。
煩悩にまみれたこの世から、煩悩を離れた悟りの世界へと帰っていく、その途中のひと休みが、この人生というもの。
一休禅師にはこんな歌もある。
『生まれては 死ぬるなりけり おしなべて 釈迦も達磨も 猫も杓子(しゃくし)も』
また、「一期は夢よ たゞ狂へ」の全文はこうだ。
『くすむ人は見られぬ
夢の夢の夢の世を うつつ顔して
何せうぞ くすんで
一期は夢よ たゞ狂へ』
「まじめくさった人なんて見られたもんじゃない。
まるで夢のようにはかないこの世の中を、さも悟(さと)ったような顔をしたところでどうなるものか。
我々の一生は夢のようなもの。
ただ面白おかしく狂えばよい」
「風狂」という言葉を胸に刻みたい。
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