【「正しい」かではなく「楽しい」か】6259

 

 

 

小林正観さんの心に響く言葉より…

 

 

 

ある方が、講演会のあとのパーティでこのような質問をされました。

 

「私の友人がついこの間、がんで死にました。

 

その人は

 

『世の中には悪いことをして人にイヤがられ、迷惑をかける存在でありながら楽しく愉快に生きている人がいるというのに、私は何も悪いことをしていないのに、なぜこんな病気になって死んでいかなければならないのか。

 

理不尽ではないか。

 

私が何か悪いことをしたというのか』

 

と言いながら死んでいきました。

 

 

そのことについて伺いたいのです」と言いました。 

 

どうしてそんな不公平なことが起きるのかというのが質問の趣旨でした。 

 

 

私はこう答えました。 

 

「がんになって、あと数ヵ月の命と言われたとき、例えば、自分の好きな絵を描いて何十点か遺そうとか、作曲したり、好きな曲を演奏して録音して遺そうとか、本を書いたり短歌や俳句を書いて遺そうとか、そういうふうに自分の存在証明を遺すということで気持ちを切り替えた人たちがいます。 

 

そのような人たちには、宣告された期間が過ぎても死なない、というケースが多々ありました。

 

あと三ヶ月と言われた人が半年も生きていたり、半年と言われた人が一年も生き延びているという事実に驚き、病院で検査をすると、がん細胞が消滅している、というのです。

 

そういう例が、世の中には多々あるようなのです。 

 

今の方のような、『ほかにもっと悪いことをしている人がたくさんいるのに、その人たちには何も起こらなくて、何も悪いことをしないで正しく生きてきた私にはなぜこんなこ とが起きるのか』という質問は、自分の運命を恨み、呪って、受け入れなかったことのストレスゆえのものだったのかもしれません。 

 

自分が『正しく」生きてきたかどうかではなく、問題は、『楽しく』生きてきたかどうかなのです」 

 

 

「正しい」ということを人生の中に掲げて生きてきた人は、多分つらかっただろうと思います。

 

「正しい」かどうかではなく「楽しい」かどうか、です。

 

自分がその生活をしていて楽しいかどうか、それを基準にものを考えるということが、実はとても重要なことのように思えます。

 

 

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人生が終わって、あの世に旅立つとき、こんな質問があるそうだ。

 

「人生を楽しんできましたか」

 

「努力したか」でもなく「自分を磨いてきたか」でもなく、「楽しんできたか」。

 

 

人生の中で「嫌なこと」「辛いこと」「病気」や「アクシデント」や「事故」などの「思い通りにいかないこと」をどう受け止めたか、ということだ。

 

悔(くや)んだり、不平不満を言ったり、愚痴や文句を言って過ごしてこなかったか。

 

逆に、どんな嫌なことや面倒なことが起ころうと、その中に「楽しみ」を見つけたり、「面白がったり」して生きてきたか。

 

 

「楽しみ」「面白がって」生きてきた人は、明るく、朗(ほが)らかで、肯定的でいつも笑いがある。

 

「楽しむ」ということは、単なる娯楽や快楽の話ではない。

 

どんなことも「必然、必要」「肯定する」「受け容れる」「感謝する」気持ちをいう。

 

 

また、「正義感の罠」、という言葉がある。

 

真面目な人ほど、「正義感の罠」に陥りやすい。

 

「正しさ」を追求するあまり、できない人を批判したり、憎しみや敵意を持ったりしてしまうからだ。

 

正義感を振りかざす人からは、人は離れていく。

 

 

大事なのは・・・

 

「正しいか」ではなく「楽しい」か。

 

 

 

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