【静謐(せいひつ)であれ】6247

 

 

藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…

 

 

諸葛孔明はわが子を戒めた手紙にこう記している。 

 

「寧静(ねいせい)に非ずんば以(もっ)て遠きを致(きわ)むるなし」 

 

寧静でなければ遠くまできわめることはできない、遠大な理想を実現することはできない、というのである。 

 

 

呂新吾の『呻吟語(しんぎんご)』もこう述べている。 

 

「躁心(そうしん)・浮気・浅衷(せんちゅう)・狭量、此(この)八字は、徳に進む者の大忌(たいき)なり。

 

此八字を去るに、只だ一字を用ひ得(う)。

 

曰(い)はく静を主とす」 

 

 

騒がしい心、浮ついた心、浅薄な心、偏(かたよ)って狭い心では、徳に至ることはできない。

 

徳を身につけようとするなら、ただただ静謐(せいひつ)であれ、と いうことである。 

 

 

いま、世情は先行きの見えにくさ、とらえどころのない不安な予感に いたずらに騒ぎ立ち、あるいはそこから目を背けて浮薄に浮き立ち、流されていく気配が濃い。 

 

このような時だからこそ、しばしでいい、足を止め、心耳を澄ます時間を持つことが必要なのではないだろうか。

 

 

小さな人生論 (小さな人生論シリーズ)』致知出版社

小さな人生論 (小さな人生論シリーズ)

 

 

 

諸葛孔明のこの言葉は「寧静致遠(ねいせいちえん)」という。

 

「寧静」は、心に雑念がなく、穏やかで落ち着いていること。

 

「至遠」とは、遠大な目標を達成すること、又は奥深い境地に達することをいう。

 

目先の利益や欲望にとらわれず、静かに自分自身と向き合いながらコツコツと努力を重ねることの大切さを説いている。

 

 

千利休はお茶で「侘び寂(さ)び」を表現した。

 

岡倉天心はそれを「不完全美」と解釈している。

 

それは未完の美である「幽玄美(ゆうげんび)」であるという。

 

 

幽玄とは、物事のおもむきが深く、派手さや華やかさではない、繊細で静謐(せいひつ)な美を指す。

 

たとえば、雲一つない晴れ晴れとした山々を見るのもいいが、薄く雲や霞がかかっている山々を見るのも趣(おもむき)があっていい、という美意識だ。

 

この心境がまさに、「寧静」であり「静謐」。

 

 

茶道では、茶釜の湯が煮立つ音を「松風(まつかぜ)」という。

 

静まり返った茶室で松林を吹き抜ける風の音に似た音を聞くと、人は心が落ち着く。

 

まさに「静謐」な状態だ。

 

 

騒がしい心、浮ついた心、浅薄な心、偏(かたよ)って狭い心を捨て去ること。

 

「静謐」という言葉を胸に刻みたい。

 

 

 

小さな人生論 (小さな人生論シリーズ)

 

 

 

 

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