巨人の肩に乗るということをもっと具体的に考えていきましょう。
まず最初はT理論の用語や理論を、過去の苫米地手帳のコラムにあるようなオーセンティックな人による記述によって抑えます。
次に(あるいは並行して)目指すべきは、本家の寺子屋シリーズに顕現されるリベラル・アーツが挙げられます。
寺子屋シリーズの意図について、本家主宰は以下のように書かれます。
引用します。
寺子屋シリーズで目指しているのは、先人たちの知の遺産の継承とその巨人の肩に乗るための準備です。巨人の肩の乗るというのは一朝一夕ではもちろん難しく、山登りに似ています。
(コツコツやれということではなく、一夜漬けで構いません。ただ普通の一夜漬けと違うのは、毎晩が一夜漬けということだけです)
しかし、同じように山頂を目指すにしても、いろいろな道があります。
知の頂きを踏破するために「まといのば」では、あくまでも王道であり、かつ素早い道を模索したいと考えています。
この道を歩めば、比較的に最短距離で様々なことの理解にたどり着けるのではないかと勝手に思っています。とりあえずの頂上に到達することができるかなと思っています。
(もちろんそこからはまたより高い山々を見上げることになるのですが)
もちろんいろいろな山道があって良いですし、実際にいろいろと存在するのですが、一方でそれらのうちの多くの道が迷宮への入り口となり、迷宮を楽しんでいるうちに(もしくは苦しんでいるうちに)人生が終わってしまいます。
まといのばシェルパとしては最善の道を最速でお連れしたいと願っています。
意味は少し違いますが、「人生は短く、技芸は長し(Ars longa, vita brevis)」ですので学びはなるべく素早くが良いかと思います。
(「まといのば」本家ブログより引用)
そもそも引用したこの本家の記事は、寺子屋シリーズ(すなわちリベラル・アーツ)を圧倒的な密度で圧縮して記述してあります。
その一部を引用しましょう。
まずは論理学の意味での論理をすべての基礎とします。
論理とはLogicであり、ロゴスであり、計算規則であり、アルゴリズムです。
論理学をきっちり学ぶというよりは記号論理学の感触や公理系の感触を抱くことが大事で、他は枝葉末節として割愛します。
論理学とは言葉の並べ方の規則についての学問であり、言葉というか文字や記号の並べ方のルールについての話です。それが結合子(Not, and, or,if-then)であったり、P,Q,R...などの文字であったり(x,y,zであったり)します。
次にアルゴリズムの訓練として数学を学びます。足し算・引き算、掛け算・割り算、指数・対数、微分・積分(どれも、すべて二項対立として理解すると早くなります。もしくは逆関数として)などの代数学(と微積分など解析学)をやり、一方で公理系の訓練としてユークリッド幾何学をやります(公理の組み合わせで定理が自己増殖していく体系としての公理系、その過程の「証明」を。この証明の過程がまさに論理学の論理式の計算と同じです)。
アルゴリズムの感触や論理式とそれを解く感触というのは、数学とほぼ同じです。
数学の関数はまさにアルゴリズムであり、公理から定理をつくり、定理たちと公理を組み合わせて自己増殖していくのは論理学と同じです。
代数学と幾何学が出会う場としてデカルト図形を考えます(平たく言えば代数とは計算、幾何とは図形です)。
(「まといのば」本家ブログより引用)
引用した部分では論理学、数学、デカルト図形となり、さらにそのあとはニュートン力学、ラプラスの魔、決定論的な世界観、熱力学、、、と続いていきます。
それぞれの分野で専門家の方は多くいらっしゃると思いますが、それらを縦横無尽に論じ解説できるのは、本家主宰だけのような気がします。かなり貴重です。未来に遺す必要があります。
話は変わりますが、最近ショックだったのが、敬愛する荒俣宏先生が大病を経て蔵書のほとんどを手放したというニュースでした。
誰か(どこか)が引き取ってくれればよかったのですが、蔵書2万冊のうち1万冊は「ゴミ」として処分されてしまったそうです。
今年の7月、30年住んだ戸建てを手放して、妻と2人でマンションの一室に引っ越したんです。不動産の売買自体はうまくいったのですが、何より大変だったのは、2万冊の蔵書を処分しなければならないことでした。
手元に残したのは、本棚3つに収まる500冊だけ。僕が70年以上かけて蒐集した貴重な稀覯本ですら、「ゴミ」になってしまいました。トラックで運ばれていくのを見送りながら、心が引き裂かれるような思いでしたね。
昨年の12月、生死の境を彷徨ったんです。江戸川放水路にハゼ釣りに行ったとき、ボートから落ちてできた傷口に雑菌が入ったようで、蜂窩織炎を患ってしまった。3週間ほど入院したのですが、体は痛いし思うように動かないし、「もう駄目だ」と最期を覚悟したくらいです。
幸い回復できたものの、いつまた突然の事故が起きるかわからない。「これは真剣に身辺整理しておかなければならない」と思いました。2万冊の蔵書をそのままにして逝ったら、遺された側は途方に暮れてしまう。妻に苦労をかける前に腹を括ったんです。
界隈で荒俣宏先生といえば、風水の参考書籍でしょう。
そんな博覧強記な荒俣先生の蔵書が散逸してしまったのは非常に残念です。
※荒俣宏先生やセイゴオ先生が携わった角川ミュージアム
いつの時代も知というものは軽んじられるものですが、知識の運用によって気功を行う僕たちは、大切にしなければなりません。
本家ではオルテガを引いて、気功師・ヒーラーとして必要なマインドセットを説きます。
本家ブログより引用します。
そして、もう一つ、我々のマインドセットに刻み込んでおきたいのが、オルテガです。
つまり、彼らの最大の関心事は自分の安楽な生活でありながら、その実、その安楽な生活の根拠には連帯責任を感じていなのである。彼らは文明の利点の中に、非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる奇跡的な発明と構築とを見てとらないのだから、自分たちの役割は、それらをあたかも生得的な権利ででもあるかのごとく、断乎として要求することにのみあると信じるのである。飢饉が原因の暴動では、一般大衆はパンを求めるのが普通だが、なんとそのためにパン屋を破壊するというのが彼らの普通のやり方なのである。(p.82 オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』)
我々だけはスコトーマを外し、我々がふんだんに享受している「文明の利点の中に、非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる奇跡的な発明と構築とを見て」取りましょう。
ローマは一日してならずなどと言いますが、舞台1つ取ってもその隅々のどこを取っても自然の営みなどなく、人為的に作られ、長い期間訓練され、あたかも自然に物語が進むように見せています。
ゲーテではないですが、ゲーテ自身がが飛ばす洒落1つにも財布いっぱいの金貨がかかっているのです。
「私がとばす洒落の一つ一つにも、財布一ぱいの金貨がかかっているのだ」(エッカーマン『ゲーテとの対話』)
(「まといのば」本家ブログより引用)
僕たちは先人たちの懸命で必死な営みの上に生きています。
その意味で、僕たちは奇跡を生きているのです。
ねえ 小さく揺らいだ果てに僕ら出会ったんだ
息ができなかった 僕はただいつまでも君といたかった
雪のようにひらりひらり落ちる桜
君のいない人生を耐えられるだろうか
1991僕は瞬くように恋をした
1991いつも夢見るように生きていた
米津玄師の曲を映画館で聴くのは何度目だろう。
さて、次回のLive配信ではそんなお話をできればと思います!!
日曜日19日の14時スタートの予定です!また公式LINEアカウントで開始時に連絡しますので、参加希望の方は登録をお願いします!!!
パーソナル・セッションは随時募集中です!!!
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