日付としては昨日だけど
3年前の9月11日に
1ヶ月入院していた
ICU、HCUを退院した。
主治医の先生3人に
しっかりお礼を伝え、迎えに来てくれた娘と
笑顔で大学病院を後にした。
前の記事で
低カリウム血症を起こした、と書いたけれど、
そのせいでわたしは心肺停止になったんだ。
前日に東京から息子が帰省してて、彼女も来て、ご機嫌で家事をこなし
晩御飯もお家ご飯をみんなでわぃわぃ食べたくて張り切って買い物して‥
心肺停止になったとき
わたしはモールの駐車場、車の中で1人。
娘はショッピングモールの中。
先に買い物してた食品があったから、車の中でエアコンつけて待ってた。
たまたま娘が電話をしてきてて
娘が『どしたの?眠たいの?』
って思うほど。
笑えてきた、って言ってたぐらいに
とろーんと話さなくなって。
でも何かが知らせたって。
虫の知らせというやつ❓
わたしの元に戻ってきてくれた。
でも、そのときのわたしの顔に
もう生はなかったらしい。
そこから119番をし
電話で指示を受けながら人を集めたり
心臓マッサージをしたり。
AEDが備わっている場所だったことも
幸運だった。
AEDを抱えてモールの警備員さんが走ってきてくれたらしい。
娘の心臓マッサージとAED、警備員さんの早い処置もあり
お蔭で、動いて
けれどもまた止まる
を繰り返し。
ドクターカーで大学病院の先生が
現場まで駆けつけてくれたのも幸運だった。
救命救急センターに搬送されたものの
心肺停止が合計14分
意識も戻らないわたしに付き添ってくれてた家族に告げられたのは
この状態では
このまま命が保てたとして植物状態
少し良くなったとしても脳に酸素が届いていない時間を考えると
記憶喪失にはなるでしょうと。
脳の損傷を少しでも抑えるために
体温を低く保っています。
と氷に囲まれ
たくさんの機械に繋がれてなんとか生かさせてもらっていた。
驚き、悲しみ、先への不安
家族はどんな思いだったろう。
わたしが心配かけた当事者だけど、計り知れない。
2日後に意識がもどり
家族は喜んだのも束の間
わたしの1言目は
主人に対して「誰?」
自分が何処に居るかを何度説明されても
えー❓なんでー❓を繰り返すわたしに
やっぱり記憶は失われたかと
絶望や不安を与え。
記憶の糸を繋ぐべく
リハビリに懸命になってくれた家族。
毎日、面会時間のいっぱいを使って
そばにいて笑って
『はい、今日のお昼ご飯何を食べたか、すべて思いだそう』って。
今、思い出しても胸が熱くなる。
わたし自身は死の恐怖もしらず
自分の記憶に残るのは
病室で家族たちと笑ってたことばかり。
家族に守られ助けられ
仕事に復帰できるほどにさせてもらって。
あの当時は
わたしが元通りの生活が送れること
その為だけに家族が一生懸命になってくれてたし、自分自身もそれ以上の望みはなかった。
けれど、3年たって
いろんなことも落ち着いて
ふと考える。
あの個人病院の先生は
自分の誤診をどう受け止めたのか。
わたしの家族をあんなに不安にさせて
泣かせて。
①血圧が高い方 原発性アルドステロン症を疑ってみて下さい