こんにちは。
自然治癒力と免疫力でからだの不調を改善
健康ダイエットコーチの濱西です。
「できれば最期は自宅で」は本当にできるのか?
誰しもがそれなりにある程度自立して生活ができていれば、自分の最期なんて考えないですよね。
ですが、濱西はもう40代の半ばすでに自分の最期を意識しています。
自分の最期を意識すると、時間の投資の仕方が変わってくるのです。
家族といる時間を大切にしたり、付き合いのある方とのつながりを大切にしたり。
好きなことをして楽しんだり。
人生においてほぼ仕事を捧げてきた自分です。振り返った時に何が残るのか考えてみたらぞっとしました。
人生は自分が決める、仕事が決めるのではないと。
そして社会人になってからその時間をほぼ仕事に捧げていた自分を後悔したことがありました。
他人(はた)が楽になるから、働くといいます。
ですが、自分が死に物狂いになってまではたらくと本末転倒ではないですか。
忙しい20代。中堅社員になってバリバリの30代、そして気づいたら40歳。
勝手に結婚はできませんし、勝手に彼女もできません。
自分から時間投資を選択して実行していってはじめて新しい世界が広がります。
「できれば最期は在宅で」ともし考えておられる読者さんがもしいれば、元気なうちに準備をしておくことが賢明と言えそうです。
今回は、バイオガイアジャパン株式会社 CEO 野村 慶太郎 さん fb より 大変勉強になる記事を投稿いただきましたので、紹介したいと思います。
参考になれば幸いです。
以下引用:
人生の最期は自宅で過ごしたい。
いつもそう思っているのだけど、ワシは本当に自宅で死ねるのか。
仕事柄、人の「最期」に接する機会が一般の人より多い。
看取りの現場にも多く接してきた。
だから、きれいごとでは済まない現場も、嫌というほど見てきた。
「できれば最後は自宅で」
この言葉、色んな人から何百回も聞いた。
そして、そのほとんどが実現していない。
現実はこうだ。
日本人の7〜8割は病院で死ぬ。
つまり、放っておけばその流れに乗る。
理由は単純である。
準備していないからだ。
かく言うワシ自身も例外ではない。
「まあその時になったら考える」
大体みんなそう考える。
この思考、非常によく分かる。
そしてそれを採用した人間がどうなるかも、ワシは知っている。
ある日、少し呼吸が苦しくなる。
家族がざわつく。
「これ救急車呼ばなくて大丈夫?」
誰かがスマホを取り出す。
「高齢者 息苦しい 危険」
AIに尋ねようがググろうが、検索結果はほぼ同じだ。
「すぐ受診を」
——はい、搬送。
“自宅で静かに”は、検索3分で終了。
こういう場面を、ワシは何度も見てきた。
当事者は冷静ではいられない。
家族も、なおさら無理だ。
本来、在宅で看取るための医療はちゃんとある。
訪問診療、訪問看護、緩和ケア。
痛みも呼吸苦も、自宅でかなりのところまでコントロールできる。
制度も、人も、薬もある。
それでも人は病院で死ぬ。
なんで?
答えはシンプルだ。
人間は「助かるかもしれない」を捨てられない。
ここが一番の分岐点になる。
心臓発作かもしれない。
肺炎かもしれない。
今病院に行けば助かるのではないか。
そしてこれは、実際に当たることがある。
だから余計にやっかいだ。
ただ、現場では分からない。
その場でそれが助かるのかどうか。
検査もない。時間もない。
あるのは不安と、判断だけだ。
そこで出る。
「今回は例外でいいんじゃない?」
「いやこれは別に最期じゃないんじゃない?」
この一言。
ワシはこれを何度も見てきた。
そしてその先に何があるかも知っている。
——全員、病院死である。
在宅で死ぬというのは、自然な流れではない。
むしろ、かなり人工的だ。
・事前に決める。
・医療体制を整える。
・家族の意思を揃える。
・急変時のルールまで決める。
ここまでやって、やっとスタートライン。
選択肢は3つしかない。
・全部やる「フル治療」。
・場合によって運ぶ「条件付き」。
・そして原則運ばない「在宅看取り」。
そして、ここが一番重い。
在宅で死ぬとは——
助かる可能性を、自分で閉じる決断でもある。
ワシは、それを理解している。
現場で何度も見てきたからだ。
だが同時に思う。
いざ自分が胸を押さえた瞬間、ワシは本当に冷静でいられるのか。
「いや、今回は違うかもしれん」「ここで病院行けばあと5年はいけるのでは?」
そう言って、ワシ自身が一番最初に119を押す可能性。
正直、否定できない。
家族も同じだ。
誰か一人でも揺れれば、すべては崩れる。
だからこれは、その場の判断ではない。
元気なうちに決めておくしかない。
厳格なルールと万全の在宅医療体制と法体制まで整えて、普段からしつこいぐらいに家族や周囲や医師にも伝え、とどめにそれを紙に書いて、冷蔵庫に貼るくらいで、やっと戦える。
でも、それでもいざとなったら自分がそれを破り捨てるかも知れない。
理想の死に方というのは、思っているよりずっと現実的で、そして少し情けない。
