「悟った人」として、本を出したり講演会をしたりする方がいますね。
そのような人たちの多くは「悟り、目覚めとは至福の状態」だと言います。
それに対して「悟りとは虚無だ。救いなどではない。悟りを人々に教え伝えるというのは、廃人になれと言っているようなものである。あいつらは聖人の振りをした巨悪だ」と言う人もいます。
さて、どちらの言っていることが正しいのでしょうか…??
このブログを読んでくださってる方なら、なんとなくわかったと思います。
「見ている世界が違うだけ」です。
もう少し詳細に言うと、「悟りは至福」と言っている人の「悟り」とは、「ハートの悟り」のことを言っていて、「悟りは虚無」と言っている人の「悟り」は、「マインドの悟り」のことを言っているのです。
マインドとハートとハラ、3つの悟りについてはこちらの記事にて体験を書いております↓↓↓
わたし個人の感性の話ですが、「悟り」という言葉のイメージとしては「虚無」の方がしっくり来ていました。
マインドの悟りの方が優勢だったのですね。
ハートの悟り・至福の体験もあったのですが、通常の状態に戻ると「『虚無』が真実なのだから、至福も幻想…」という感覚がどこかにありました。
わたしが提供しているヒーリングやセッションというのは、ハート・至福ベースのものです。
そのため、どこか「わたしは幻想を売ってお金を得ているのだ。それは宇宙の真理を探究するものとして、恥じるべき行為ではないのか」などと思っているところがありました。
そんな自分に酔っていますね(笑)一種のナルシシズムです。
自分を恥じてみるというのは、「自分は恥じることができるだけの知性の持ち主である」という静かな主張でもあります。
今まではナルシシズムに浸る方が楽しかったため、あまり精力的に活動をしてきませんでした。
(別の言い方をすると、分離の意識をベースに世界を楽しんでいた、とも言えます)
しかし、「マインドの悟り」と「ハートの悟り」が、それぞれ別物なのだという知識を得たことで、「ハートの悟り・至福体験もまた素晴らしいものであり、わたしはこれを伝えて行くのは楽しい」という、今現在の自分の感覚を肯定することができるようになりました。
「ハートの悟り・至福体験」は、宗教を布教する人の気持ちがわかるほどに、「こんな素敵な体験を、皆ができればいいのに!」と思うような体験です。
(別の言い方をすると(笑)、「わたし自身がこのときに感じていた感覚を更に浸透させて日常を生きて行きたい」とも言えます)
「マインドの悟り」は「真理」で「わかる」もの、「ハートの悟り」は「愛」で「感じる」もの。
優劣を付けるものではありません。正誤はありません。どちらも真実です。
そして、悟りにも段階というか深さというか…があり、悟りの体験(一瞥体験)をすることと、完全解脱(エゴがなくなること)することは別物です。
一瞥体験はただ一時的に本質が「わかった」、本質を「感じた」だけであり、肉体には観念(分離)のプログラムは残ったままなので、一瞥体験をしたことがある人が「普通の人」なのは当然のことなのです。
大事なのは、その体験をすることではなく、観念(分離)を溶かし、統合され、本質の自分として日常を生きていけるようになること、なのですね♪
そのサポートとして、今後、ハピcocoセラピー(講座・エナジーアチューメント)ご提供はもちろん、一斉遠隔ヒーリングも予定しています。
お楽しみに💖💖そして、楽しみです😍😍




