仕事で高齢の方と接していると、ほとんどの方が


「こんなに長生きすると思わなかった。」


「はよう、お迎えにきてほしい。」


「みんなにやっかいかけて…。」


といったようなことを話されます。



昔の私は、


「そんなこと言わないで。ご家族のためにも長生きして下さいね。」


などとかえしていました。




今は、ただ聴くようにしています。


「思ってた以上に、長生きされてるんですね。」


「早くお迎えが来てほしいんですね。」



「長生きもお辛いですね。」と。



これは、断捨離®️のおかげです。


自分の感情をジャッジしないようにと心がけていると、相手の思うこともジャッジしないようになってきたのかもしれません。



不謹慎かもしれないけど、ある日の仕事中の会話です。



Yさん

「もう私96やで!はようあの世にいきたいって、毎日拝んでる。」


「大丈夫ですよ。そう遠くない将来にあの世にいけますから。私の方が先かもしれませんけどね。」


Yさん

「あんたはまだ若いんやから、先に死んだらあかんで。」


「人生何があるかわからないから、こればっかりは何とも…。先に逝った方が三途の川まで迎えにいく約束しましょうか?」


Yさん

「そやなー。けど先生の顔覚えてるかな。」


「大丈夫。私がYさんのこと覚えとくから。あの世なら、リハビリせんでも自由に歩けるからね。」


Yさん

「ほやなー!どこでも行けてええな!走れるな。」


「ダッシュで迎えに来て下さいよ。とりあえず、平行棒で立つ練習しましょうか。」



リハビリが終わるとYさんは笑顔で、


「またお願いします。」とにっこり。



※あくまでも、Yさんとの信頼関係ができていると思えるからの発言です。



こんな感じのやり取りをしていて、気づいたことがあります。



本当にお迎えが来てほしいのではなくて、


思うようにならない身体、


住み慣れた家に帰れない辛さ、


人の世話にならないと生活できない辛さ、


人にはわかってもらえない痛みや孤独、


大切な人が先立ってしまった哀しみ、


そんな自分のことをわかってもらえない辛さが、死ぬほど辛いのだということを、違う言葉で表現しているのではないかと。



本当のところはわかりません。



でも、今、ここで、私もYさんも生きていて、ご縁があって出会っているのだから、ほんのひと時でも笑いあえたらいいなぁ、と思います。




以前、訪問リハビリの仕事をしていた時に衝撃的なことがありました。



確か102歳の男性でした。


もう自分は十分生きたから死にますと言ってきかず、食べることを最期まで拒否して、自宅で餓死されたのです。


もちろんそのご家族は何とかしようと奔走されましたが、ご本人の意志が強くて、どうすることもできなかったのです。


主治医は、あっぱれな最期だったとおっしゃっていました。



言葉の背景にある思い、言葉にならない思い、そんなことに思いを巡らせるには、自分に気持ちに余裕がないとできません。


仕事中は忙しいと言えば忙しいけど、気持ちには余裕を持ってご高齢の方と接したいと思います😊