去年~今年は私が天中殺なのでゲッターズ飯田さんの五星三心占いの本を買って、そのアドバイスをなるべく参考にするように心がけて過ごしています。


本の中で、「去年大変だった人は今年は穏やかに暮らせるけれども、去年何事もなく過ごした人は今年厳しい年になりやすい」と書かれていて、去年は穏やかに過ごせたので、今年は厳しいのかなと思っていましたが。


昨夜、お世話している子猫が血尿出しまして、シェルターに連絡したり、対処方法を検索したりしていたりしていて、よく考えてみると、去年は大きなトラブルに発展しなかっただけで、私が思っていた以上に大変だったな、ということを思い出しました。


息子が高3で進路決定で大変になるということは、元々折り込み済みだったし、天中殺とは無関係な類いの大変さだと思っていましたし、息子に関しては、想定の範囲内というかむしろ順調だったと思いましたので(^∀^;)


でも、よく考えてみれば、保護猫のミルボラで子猫が体調崩したり、次々と保護された子猫を引き受けることになりましたので(^∀^;)


特に去年最後にお世話した子は、コクシジウム持ちで弱ってしまって亡くなってしまったのですが、その子の看病していた時期と息子の進路決定のための実習が重なってしまって、息子の方に影響が出ないようにするだけで精一杯な状況でした。


これが、去年の最大のピンチだったのですが、息子の実習と重ならなければ、子猫が亡くなった時に命を救うことができたかもしれない、という後悔がありました。


けれどもその後で、一緒にお世話していた兄弟猫にコクシジウムが見つかって、同じように猫風邪の症状が出たことから、息子の実習と重ならなくて看病に集中できたとしても、結果は変わらなかった、という事実に気がつきました。


一番大変だったのは、この子達でしたが、その前の子達も、餓死寸前の子猫たちだったり、受け入れ直前まで母猫と一緒だったけどノミだらけだったり、他の方がお世話していた子猫を引き受けたけど、生憎旅行の予定と重なってしまって預かりボラさんに子守りをお願いすることになったり、と結構大変でした(^∀^;)


優先順位を決めて、同窓会の役員など手に余ることは他の人にお願いして手放す、ということができるようになったのでトラブルになるまでに至らなかった。ということだったんだな、と気がつきました。


こういうことができるようになったのは、天中殺になる前に、易経を学んだり、天中殺を無事に乗り切れるように四柱推命をきっちり勉強したりしたお陰だと思います。


四柱推命は、自分の人生のスケジュール帳のようなもので、天中殺占いは運気のサイクルのカレンダーだということが、そのお陰で理解できるようになりました。


易経は、運気の天気予報の方法(易占)や人生のスケジュール帳の読み方、人生の地図の読み方等のテキストだということも四柱推命の勉強とこの数年間の経験でわかりました。


それで、去年たいしたトラブルを経験せずに穏やかに過ごすことができたのは、易経に書かれているトラブルが起こる仕組みについて学んだお陰で、トラブルの芽が出てもまだ小さいうちに駆除することができたお陰で、決して天中殺の大変さを経験していなかった訳ではなかったんですね(^∀^;)


今年から仕事を始めましたが、実は去年思いついて急に始めたようなことではなくて。


それ以前から、やりたいと思っていて色々な勉強をしていたことだったのと、天中殺の年ではあるけれども、実際にスタートしたのが「再開=リベンジ」の月だったので、決して失敗パターンのタイミングだった訳ではなかったんですね(^∀^;)


よく考えてみると、私が夫と出会ったのも、実は天中殺の年の天中殺の月だったんですが(^∀^;)


冬に種を撒く作物もあるように、人によっては天中殺の方がむしろ良い結果に結びつく事柄もあるんだな、と思います。


息子の実習が無事に終わって息子にとって最善の進路先に就けたのも、息子のことを優先順位のトップに置いたという選択が正解だったお陰だと思いました。


それから、息子が高3だという口実で、同窓会の役員から離れることができたことも良かったと思います。


これは、私の同級生達が快く役員を引き受けてくれたお陰だったので、本当に感謝しています。


また、実家の家電と父の携帯番号を着信拒否にして、両親との接触を完全に断ったというお陰で、余計なトラブルを引き込まなかった、というのも良かったと思いました。


こういう対処ができたのも、今までの人生の中で天中殺の年のことを徹底検証して、トラブルの原因を追及したからだとも思います。


そうやって、過去の経験を振り返って反省点を洗いだして、適切に対処できる状態にするということはとても大切なことだということを、今回の経験で学んだのですが。


誰とは言いませんが、スピリチュアルリーダーという肩書きで仕事をしている人の中には「思考は邪魔だ」とか「考えるな、感じろ」と言って、思考を軽んじる傾向が強い人がいます。


そういうスピリチュアルリーダーは、私のように、自分が抱えている問題を検証、分析することで解決しようとする人に「思考は無駄」と言って止めさせようとするのですが。


そういうスピリチュアルリーダーから離れて、自分と向き合って問題を徹底検証することで解決してきた結果、気づいたことは。


思考を悪者にしてクライエントが内観することを妨害する傾向があるスピリチュアルリーダーは、基本的にあんまり頭が良くない人で、現実逃避して自己正当化させることで一時的に問題解決したように錯覚させるだけで、クライエントが解決したい問題を解決に向かわせるということはない、ということでした。


そのことは、去年の時点で薄々気づいてはいましたが、はっきりと確信を持っていた訳ではなくて。


そのことがはっきりと確信をもって理解できるようになったのは、今年になって、ネットの配信マンガで連載されていた「スピリチュアル教祖となった主婦~天使さまと呼ばないで」というマンガ

を読んだことがきっかけでした。


残念ながら連載が止まっているので、続きが読みたくて原作者のnote

で続きを読みました❗️


この原作者のブログも読んだのですが、自分自身としっかり向き合ってきた経験から、主に子宮系スピリチュアルリーダーの人ですが、巷のスピリチュアルリーダーの人々の言動をしっかり観察して、炎上騒動の動向を検証・分析されて、スピリチュアルリーダーの人々の問題の在処もきちんと把握された上で、マンガの原作になった小説を書いておられる、ということがはっきりしっかり伝わります。


それ以外の記事についても、私自身が自分の問題と向き合って、両親との問題と向き合う上でも非常に参考になりました。


今はブログをAmebaから引っ越しされていますが、Amebaのブログの記事がすごくためになるので、最初から丁寧に読んでいます。


そういうことがありまして、思考を邪魔者にするタイプのスピリチュアルリーダーは、本人もあんまり深く物事を掘り下げて考えるタイプではないんですが、現実逃避して問題を棚上げすることで解決したように錯覚させることに成功した人達、と言い換えることもできるのかな、と思いました。


まあ、問題は棚上げしているだけで実は全く解決していないので、また頭をもたげてくるのですが。


それだけならまだ良いのですが、易経で「霜を踏んで堅氷入る」と言っている通り、棚上げした問題は確実に悪化し続けていきます。


もちろん、真っ当というか健全というか、ちゃんとクライエントの問題を解決に導くスピリチュアルリーダーもいる訳で、そういう方々は、思考を否定したりはせずに「思考がこんがらがってややこしいことになってるから、一時的にスイッチをオフにしてみて、整理しましょう」というアドバイスをします。


その時に「感覚とか感情に意識を向けてみましょう」と促すことはあります。


それをブルース・リーの映画の「考えるな、感じろ」というセリフの例えで表現しているのですが。


まあ、ブルース・リーのセリフの意味というか意図するところも基本的に同じだと思います。


けれども、その言葉が意図するところを全く理解できていない人が、表面だけなぞって「思考は邪魔」と言う訳です。


相手に考える時間を与えず、冷静な判断をさせない、というのは、実は詐欺師の基本的な手口なんですよねーてへぺろ


まあそんな訳で、スピリチュアルリーダー、もしくはセラピストが「思考をやめる」と言ってる時は、どういう意図でそう言ってるのか?ということを言葉のニュアンスや行間、空気等から読み取る、ということが大事ですね~ニヤリ