前回の記事で、やっと母親と弟とのカルマの根源が判明しましたが。

強制除霊師・斎シリーズの


 

 

の斎さんの話によると、カルマの精算も借金やローンと同じで一括精算と分割精算があるらしくて。


一括精算を選択すると、↑の本の表題作のように、難病や重度の障害で寝たきりの人生を送る、というような困難極まりない人生を送ることになります。


うちの息子も、新選組の隊士だった過去生のカルマを一括で精算するために、重度の知的障害者という人生を選択して生まれてきたそうです。


そういう息子のカルマの一括精算を手伝うということも、私の現世で最初から決まっていたということらしいです。


ということは、夫も当然同様なんですけれども。


先月の満月から立て続けに見えない世界からのメッセージが届くようになったのは、息子の進路が決まって卒業も近いから、ということだそうです( ;´・ω・`)


先日、母親と弟とのカルマの根源の一つになった過去生の情報がわかったのは、私が小学生の時に自分でやってしまった呪詛で怨霊化してしまった自分自身の生霊が、色々なトラブルの原因だったことに自分で気づいて、自分でヒーリングするようになったからということもわかりました。


これができたのは、ヒントになったマンガのBar白色天だけでなく、水鳥ねねさんの本でカルマの解消のやり方を学んだり、Thambaさんのリーディング講座やブログの過去記事のセルフ幽霊を浄化することを学んだりしたおかげでした。


特に私が先祖のカルマの解消とがっぷり四つに取り組むことになったのは、優花さんのゼウ氏のトランスセッションで、現世の課題の一つとして先祖のカルマの解消を選んだ、とゼウ氏から言われて、そういう人のことを優花さんからカルマの番人と言う、と教わったことがきっかけでしたが。

カルマの性質について、借金だとか自動車の教習所に例えて説明できるぐらいに、色々な体験を通して学習することになったのは、カルマの番人という宿命を背負っている人間の必須科目のようなものだからだった、ということも理解できるようになりました。

私も、スピリチュアルの世界で学んできた12年間で、色々な人と出会い、学びましたが。

スピリチュアルを仕事にしている人の中には、このカルマの性質や仕組みというものをちゃんと理解して仕事をしている人は、私が直接知っている方の範囲内だけでも、半分いるかいないか、という感じです。

その中には、カルマのことを全くわかってもいないのに、わかっているつもりになって、鑑定してアドバイスしたり、人に教えたり、ということをやって大金を得ている人もいまして。

以前、見えない世界の守護の存在と繋がること

という記事でも書きましたが、カルマというものは下手をすると命に関わるトラブルにまで発展するほど大変なもので、先祖のカルマは子孫の人、過去生のカルマは本人が自分でやらないとちゃんと解消はできないです。

斎さんや寺尾玲子さんのマンガのように、霊能者の方が祓うこともできるように思っている方も多いですが、実は霊能者の方がやっておられるのは、カルマの解消をする方法についてのアドバイスと応急措置であって、本人が自分でやる!という意志をもってやらないと中途半端な状態で終わってしまって、また再発する、ということになります。

先祖のカルマを解消する場合、お坊さんを呼んでお経を上げてもらったりすると思うのですが。

どうしてお坊さんにお経を上げてもらうと未浄化霊が浄化されて成仏するのか?という理由というか仕組みは、実は永久保貴一先生の


 

 のシリーズとか



 

 のシリーズでわかりやすく説明されています。


ちゃんとした本職の僧侶の方の指導と許可の元で描かれているものなので、確かだと思いますが。


私も経験してわかったことですが、仏教の修行をしたことがない素人でもできる、不動明王様の御真言を唱えて生霊を祓う、というのは、実はブルース・モーエン講習で習った愛の投射で悪意ある存在を無力化するのと同じ仕組みでして。


お経を愛の投射として有効に使うことができるのは、ちゃんと修行した僧侶の方だけで、素人がやると逆効果になってしまう、ということも永久保先生のマンガにちゃんと描かれています。


また、私が伯母の友人の霊能者の方に神棚の祀り方について教わった時に言われたことなんですが。


神棚と仏様のものと聖母子像等キリスト教関係の物の配置する時には、必ず神棚を一番高くする、ということは守らないといけない、ということでした。


そして、聖母子像やキリスト像、十字架等は一番低くする、とのことです。


その理由は、イエス・キリストと聖母マリアは人だから、ということでした。


人だから、という点では、仏陀も同じだとは思いますが、仏像というものは必ずしも仏陀(お釈迦様)とは限らないので、神棚よりも一段低く、イエス・キリストや聖母マリアは更に低く、というルールだそうです。


イエス・キリストは神の子であって人ではない、というキリスト教の主張は、あくまでも教会が決めたことであって、イエス・キリストも生前はれっきとした人間であることには違いない、とイエス・キリストを普通に神様として敬っている日本人な私としては思うので、神棚や仏壇よりも低く置く、という考え方はごくごく常識的だと納得しました。


まあ、菅原道真公とか楠木正成公とか徳川家康公と一括りにするのは違うとは思いますが、少なくともお釈迦様とか孔子とは同列に扱うのはアリだと思います。


まあ、神棚の祀り方とか祭壇の配置のルールの話はついでなのですが、カルマの仕組みの話と同様に、私の守護の存在からブログでシェアするように、と指示された情報なので、この記事に書きました。