先月のことですが、私の守護天使である大天使ガブリエルから突然「志望大学に落ちたのは、あなたが学ぶべきことがそこでは学ぶことができなかったから」と言われました(゜д゜;)

 

その志望大学というのは、キリスト教系の某有名私立大学なわけですが、中学&高校がその大学に合格してなんぼ、という傾向がある学校(それらの大学の卒業生の先生が多かったあせる)だったということと、大学卒業後、社会人になってから不遇を囲っていた原因が主に地方の四年制私立女子大出身ということにあったことから、「受験生の時、もっと勉強していればよかった」と後悔していました。

 

実際、両親からもそのことが原因で未だに不良債権扱いを受けていますし。

 

ですが、今年2月にセルフ前世講座を受けた時に、リマさんから「そこで学ぶためことが最初から決まっていたから」と言われたことから、「勉強時間が一日数時間増えていたとしても、結果は変わらなかったんだな」と思うようになった矢先に、ガブリエルからそういう事を言われて初めて、自分が学ぶべきことが何であったか、ということに気づくことができました。

 

大学入学後、すぐにオリエンテーションや保健教育の講義等を通して、理事長や教授の先生方から「神の愛について」の話を聴くことになりました。

 

同じキリスト教系の大学であっても、志望大学では「自由の精神とは何ぞや」ということを建学の精神にしてはいても、神の愛について学生に教える、という機会はほとんどなかったように思います。

 

なので、大学時代に私が学ぶべきだったことは、「愛とは何ぞや」ということだったということがやっと理解できました。

 

大学1年生の時に伺った理事長の話では、フランシスコ・ザビエルが日本に布教にやって来た当初、日本人に対して神の愛について説明する時に使った言葉が「神のご大切」というものだったそうです。

人間は、皆、神にとって大切な存在である、と説明したわけなんですが、この「ご大切」という言葉が一番「愛」という言葉の意味を分かりやすく説明したものだった、と、ガブリエルからのメッセージを受けて思い出しました。

 

キリスト教の3原則は「信仰・善・愛」であり、その中で最も大切なものが愛である、と聖書のコリント人への手紙に記されています。

 

また、その愛の本質を為すものが「真・善・美」であるとも言われているのですが、大天使ラファエルから与えられた課題の「美が人に豊かさをもたらす」ことについて学ぶのも、この愛について学ぶというテーマの一環であった、ということが今になってわかりました。

 

親の愛情、特に母親の愛情は無償の愛だと言われていますが、それはあくまでも一般論であって、すべての人間に当てはまるというわけではありません。

 

だからこそ、この世のすべてのものに対して等しく注がれる、神の愛、アガペーと言いますが、それこそが完全無欠の愛である、というわけです。

 

太陽の光とか雨とか、自然の恵みがわかりやすい例でしょうかね。

 

正直、親、特に痛い思いをして産んだ母親だからと言って、必ずしも我が子に対する愛情があるとは限らないわけです。

私自身、他人に媚びるための生贄にされたこともありましたし、親、特に母親からは粗末に扱われました。

世間から「立派な親」と思われるための小道具、として利用するための価値しかない子だったんだろうと思います。

なので、正直、幼い頃の私は母のことを実は継母なんじゃないかと疑っていましたし、母子手帳を見せられて実の母だという証拠を見せつけられて、がっかりするほどでした。

 

戦国時代の私の前世の片割れの父親は、産みの母から疎んじられた上に自分の命を危険に晒された、という心の痛みを持ち、人間不信の権化のような人でした。

私が現世でそのような母親を選んで生まれたのは、その父親の心の痛みを理解することを課題の一つに選んだからなんだろうな、と思います。

 

前世の件は蛇足なので、置いておくとして、親から愛情をもらえなかったことを恨むのはやめて、そのお陰でイエス・キリストが父となり、聖母マリアが私の母となってくださったことに感謝することにしました。

 

実際に、親から見捨てられた私を不憫に思った伯母や伯父が親代わりになってくれましたし、小学生時代から高校卒業まで教えてくださったピアノの先生、母校の恩師など、親代わりに愛情を与えてくれる人が大勢いました。

 

両親の愛情を一身に受けていた弟の方は、可愛がってくれる人がいたと言っても、そこまで親身になってくれる人がいたわけではありませんでしたから。

 

河合隼雄先生の

 


という本に「良いこと二つないものよ」と書かれていたり、また美輪明宏さんが

 

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という本で書かれている通り、物事には何事も良い面ばかりでなく悪い面も必ずある、ということがわかってきました。

 

親とは言っても、あくまでも自分とは違う他人でしかありません。

だからと言って、親のエゴで自分を殺してしまったり、傷つけたりするようなことは、するべきことではなく、神の愛にも反することだと思います。

 

「親不孝だ」と言って、我が子を自分の都合のいいようにコントロールする親がいますが、こういう親は、自己愛を正当化するためにそういう言葉を利用しているだけであって、我が子を愛しているわけではありません。

 

その場合は、親と縁を切っても良いと思いますし、そういう親が死んでも、悲しいという気持ちはほとんどなくて、むしろ解放された、という安堵感の方が強いと思います。

 

逆もまた然りで、我が子が自分の思い通りにならないからと言って、粗末に扱ったり傷つけたりするのも、エゴから来る行為であって愛情ではありません。

 

躾けと我が子をコントロールすることは全く別物であることを、理解し、受け入れることができてこそ、愛情のある親であるのだと思いますし、子どものために他人に頭を下げること、恥をかくことを厭わない気持ちがあるのが、本当に愛情がある親だということが、自分も親になって初めて気づくことができました。

 

また、親が傷ついている、辛い思いをしていることは、子どもにとっても辛いことでもありますし、不幸なことでもあります。

 

なので、自分を愛すること、大切にすることは、子どものためでもあることであって、決して矛盾することではありません。

 

子どものことで無理に我慢をすることによって、自分を不幸にするばかりでなく家族をも不幸にしているお母さんが、世間には大勢います。

 

「毎日かあさん」でおなじみの西原理恵子さんが「家が散らかっていても、お母さんが笑顔でいれば、家族は幸せ」とおっしゃっておられましたが、どうか自分を大切にすることも子どもへの愛情の一環でもある、ということを大切にしてほしいと思います。

 

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