②特集 涙を流す | グッドムーンのブログ

グッドムーンのブログ

真理を伝えてゆくことが私のミッションです
そして、良質な水素ガス吸入器を販売、アフターフォローをしています ご興味のある方はご連絡ください
goodmoon51@yahoo.ne.jp
篠崎携帯08014440018
水素と健康ブログ https://ameblo.mom/hamony51/
Facebookは篠崎朗で登録


もう一つの話は、江戸時代に生きた俳人小林一茶である。一茶の句はユーモアにあふれているが、その人生が悲しみの極みのような人生であった事はあまり知られていない。

一茶は1763年、信濃(長野県)の柏原という寒村で生まれた。

3歳の時に、実母と死に別れる。父は再婚し、すぐ義母弟が生まれる。継母が、床の激しい人で、先妻の子の一茶をいじめる。
父親がみかね、15歳になったときに、江戸に奉公に出す。
39歳の時、無性に郷里に帰りたくなり、家へ帰った。父親は両手を拡げて迎えてくれたが、間もなく脳溢血で倒れ、再起できず、69歳で亡くなった。

父親は一茶と弟が等分に分割相続するように遺言したが、折り合いがつかず、遺産争いは10年以上続き、ようやく折り合いがついたとき一茶は51歳になっていた。

その翌年一茶52歳の時28歳の時、菊と結婚、一茶は、菊との間に60歳までに三男一女をもうける。
自分が不幸だった分、子供には幸せになってもらいたいと願って、長男には千太郎、次男には強い子になれと石太郎、三男には貧乏しないように金三郎と名付けた。
女の子には、さとと名づけなめるように可愛がった。
しかし、この子供たちが次々に死んでいく。まず長男は誕生の翌月に死去(一茶54歳)その2年後に長女さとが生まれたが、1年後に死去した。さとが生まれ、育っていく喜びを読んだ句がある。

「這え笑へ二ツになるぞ今朝からは」
「目出度さもちう位也おらが春」

一人娘の成長を見守る一茶の幸せそうな顔が見えるような句である。この頃が一茶の幸福の絶頂期だったといえる。
そのさとが6月の初めに、天然痘にかかって発熱しまもなく死ぬ。
「露の世は得心ながらさりながら」
「露の世は露の世ながらさりながら」
一茶の悲しみ、無念が伝わってくる句である。
「ともかくもあなた任せのとしの暮」
あなた任せとは、すべてを阿弥陀仏に任せて、生きる覚悟をしたということである。
その翌年に、次男石太郎が生まれるも、おんぶしているときに窒息死したといわれている。
正月に石太郎の位牌の前にぞうに供えて詠んだ句がある。
「もう一度せめて目をあけぞうに膳」
「かげろうや目につきまとふ笑ひ顔」
その翌年、菊は三男金三郎を出産したが、一年を経ずして、この世を去った。
行年37。その母の後を追うように、金三郎も亡くなった。
一茶は62歳で天涯孤独となった。
これを機に一茶は、阿弥陀仏への信仰をさらに深めていった。
普通の人なら絶望に打ちひしがれてしまうところだが、一茶は次々と襲い来る不幸を乗り越えて再婚する。
この再婚は数ヶ月で終わったが、この失敗にめげず一茶は64歳の時3度目の結婚をする。
俳人として名声が広まった頃だが、大火事に遭い、これまで培ってきた本や財産を全てを失い、やむなく生家の裏の土蔵に住むことになった。この頃の一茶は、少々のことに乱れない心の様相を持っていた。
土蔵の窓から葬式の列を見て詠んだ句がある。
「送り火や今に吾等もあの通り」
「極楽の道が近よる冥土(めいど)かな」
そういう状況の中で、3人目の妻やをが懐妊する。
一茶もことのほか喜んだようだが、その子の誕生をみずに、一茶は死んだ。65歳の生涯だった。
「ああままよ生きても亀の百分の一」
仏とはほどけた人、という言葉がある。
一茶は、数々の悲しみを経て、ほどけた人になったのだろう。
晩年の句がそれを教えている。

常に悲観をいだきて、心ついに醒悟(せいご)す——と釈迦は言った。
常に深い悲しみを心に抱き、その悲しみを大切にして歩み続ける人は、ついに悟りに目覚める。
涙を流す事は、心を浄化し、魂を高めることにつながる道なのかもしれない。