最近、私の親戚の者が妊っていた赤ん坊が亡くなってしまう出来事がありました。
なかなか出来なくてやっと授かっただけにショックは計り知れないくらいでした。
こんなとき、「かける言葉がない」というのはほんとうだと実感したのです。
どんな言葉も虚しくなる。そっとしておくしかないのか?時間が解決するのか?
人は死というものをどう捉えればいいのだろう。
そう思っていた時に下記の文章が目に入りました。
2話あるのですが、内容が濃いので、2話に分けます。
第一話
涙にもいろいろな涙がある。嬉しい時も悲しい時も、人は泣く。
悔し涙、無念の涙もあれば、喜びの涙、感動のあまり流す涙もある。人の生は常に涙とともにあるといってもよい。
心しなければならないのは、悲しみの涙である。悲しみの餌食になって、人生を誤る人も多いからである。
悲しみの涙といえば、忘れられない話が2つある。
釈迦の時代に生きた人に、キサーゴータミーという若い母親がいた。
ゴータミーは赤ん坊を産んだが、1週間もしないうちに死んでしまった。悲しみに打ちひしがれた彼女は赤ちゃんを抱きしめて「私の赤ちゃんを生き返らせる薬をください」と村中を歩きまわった。
気の毒に思った村人が「お釈迦さんなら、薬を持っているかもしれないから行ってごらん」と教えた。
ゴータミーは森の中にいた釈迦を訪ね、生き返らせる薬をと頼んだ。釈迦は言った。
「わかった。その薬をあげよう。しかしその薬を作るには白いけしの種が必要だからそれをもらっておいで。ただしそのけしの種は今まで1人も死者を出していない家のけしでなければダメですよ」
ゴータミーは急いで村へ帰り、家々を訪ねお願いした。
どこの家もけしをくれようとしたが、死者を出していない家は1件もなかった。
その時彼女ははっと気づいた。
「世の中には、大切な人と死に別れていない人は1人もいない。自分1人が不幸だと思っていたが、皆、大事な人と死別した悲しみに耐えて生きているお釈迦様は、それを私に教えてくれたのだ」
そう気づいた。彼女は、釈迦に帰依し、立派な尼僧となった。

