私がメンター(人生の師匠)から教わった言葉で
「分別心を無くしなさい」
分別とは
世事に関して、常識的な慎重な考慮・判断をすること、またその能力。
がありました。
たった今、思い出したのです!
「ジャッジ(判断)しない!、決めつけない」
「分析しない」
「考えない努力をする」
「思わない努力をする」
そして
「分別心を無くしなさい」
そして、これも今、思い出したのですが
「自己限定を外す」
がありました
どんどん心が開放され、自由自在心になって行きます。
神に近づいてゆく
私はこれから、ジャッジしそうになった時
分析しようとした時
考えそうになった時(ほとんどのことは考えてもどうにもならない)
思いそうになった時(思いは想いであり重い)
分別しそうなった時(肉体人間が勝手に決めた倫理や取り決め国によっても違う)
自己限定をしそうになった時(無限なる可能性を秘めた神である自分を限定することになる)
私は、これからこれらのことを思い出して、これからは自由自在心で生きて行きたいと思います。(宣言文)
ご自分を卑下(ひげ)してはいけません!
問54 卑下や高慢はいずれも生命を汚すもの、というみ教えの歌がありますが、
この点を分かり易くお教え下さい。
卑下する気持は、実に高慢以上に神の御心にかなわぬ生命を汚す想念行為なのです。自分の心をへこませることは、自分の生命の光つまり神の光を、自ら削り取ってゆくような想念であり行為であるのですから、神に対して非常な不忠実になるのです。
神は生命そのものであり、本心そのもの、光そのものであって、自らの心を責め続けるような想念を喜び給うはずがないからであり、そうした暗い、悪をつかんだ行為を是とすることがあるべくもないからです。
卑下せんとする想いは業想念であり、卑下される想いも業想念であり、その心の底には、神の御心が常に明るく素直に照り続けているのであり、それが人間の内にあって本心として輝いているのであります。そして、本心はただ照り続けているのであり、本心そのものが、業想念をつかんでそれを責め裁いたり、痛めつけたりすることは絶対にないのです。この真理を皆さんはよくよく知って頂きたいのです。
業想念の消えてゆく姿が現れた時、心が痛んだり、悩んだりするのは、あなたの本心が痛み悩むのではなく、消え去ってゆこうとする業想念が、本心に照らされて自ずから痛み悩むのであります。そしてある時間を経過すれば太陽の周りを過ぎゆく叢雲のごとく、いつしか消え去ってしまうのです。