先生の辞書には「怠ける」という言葉はない。
怠けるということは罪である、といつかのご法話で、ハッキリと先生はおっしゃったことがある。
体も動かさず、心も働かせず、気も働かせない。その上で、楽をして暮そう、なんていう怠惰な姿勢を最も嫌われた。
いのちを生かすこと―これを第一とされた。
祈りとは “いのち” の宣言である、と明言されたが、宣言を発した“いのち”は、常に振動している。躍動している。
まーるくなって、ころころころころと淀みなく動いてゆく。さわりなく流れてゆく。
一ヵ所に止まることなく移ってゆく。
一ヵ所に長く止まれば、気もとどこおり、そこに気枯れが生じてくる。
水の流れが淀めば汚れ腐ってくるのと同様に、人間の気も、いのちも汚れ、腐ってくる。
仏教の修業の重大項目の中に、精進というのがある。
五井先生は精進というお言葉こそ使われなかったが、ご自分では、人目のないところで随分精進されていた。
そのようなことをもらされたことがある。「私はいつも反省し、そして精進しているんだよ。
神我一体になりたての頃と四十才の頃は大分違うし、五十才の頃と四十才の頃とも随分違う。
私は神さまに二度と同じことを言われないようにしたものだよ。
これからも私はもっともっと偉くなるよ、見ていてごらん」「人間はどこまで進歩しても、これでもういい、ということはない。
どこまで偉くなっても、それで終わりということはない、どんなに偉くなっても、もう偉くなるのを止めなさい、という人も神さまもいない。
どこまでもどこまでも偉くなれるものが人間なのだ」そんな先生を、まぶしい気持で見上げたものである。
そして敬愛の情をなおなお強くしたものである。(高橋英雄『五井先生の辞書』62頁~64頁)