小学校の頃、
「係」決めってありましたよね。
たとえば、
学級委員、、図書係、生き物係、
保健係、体育係、掲示係、
レクリエーション係等々。
なんて懐かしい響き( ̄▽ ̄)ふー
覚えてますか?
あの頃はみんなで役割を決めて、
「私はこの係」
「あなたはこの係」と、
わかりやすく係、担当がわかれてました。
けれど大人になると不思議なことに…
誰かに任命されたわけでもないのに、
知らないうちに自分で、
自分の「係」を決めていることがあります。
そのひとつが、
「お世話係」というポジション。
頼まれたわけではないのに先回りする。
困っている人を見ると放っておけない。
場の空気が悪くならないように自分が動く。
みんなが気づかないことに気づいて、
自分が背負う、自分がやる。
やってませんか?
家族の、友達の、
職場での「お世話係」
もしやっているなら、
それって、
みずから立候補してやってますか?
それとも…
自覚なく、気づけばなんとなく、
誰かのお世話係になっていて、
常に誰かの尻ぬぐいばかりを、
やってしまってはいませんか?
誰かなにかを慮り、気遣い、思いやる。
手伝う、分かち合う、助け合う。
それは良心をもつ、
「人間らしさ」ともいえる行為で、
愛をベースとした、
美しきものだと思うんです。けれど…
度を越すとそれは、
世話焼き、おせっかい、
出しゃばりとなりますし、
相手が望んでいなければ、
相手の領域に踏み込んでしまったならば、
その美しき行為はもはや、
相手の成長を妨げるものとなり、
さらに過ぎればそれは、
相手に強要し制限をかける支配となる。
しかも、
お世話係こそが、
私の最適なポジションだと信じ込めば、
徐々にあなたのまわりに否応なく、
あなたが世話をしなければならないような、
厄介な人、面倒な人、
人を振り回すトラブルメーカーが、
大量発生し始めて、
常に誰かのしりぬぐい、
常にトラブルの火消しにはしる、
そんなトラブルと隣り合わせの日常が、
自分の標準、現実となってしまうんです。
叶うんです、与えられるんです。
自分の信じたそのポジションが。
自分の行いによって、
誰かが喜んでくれる、感謝してくれる。
うれしいですよね。
カウンセリングの現場でも、
「どうありたい?」「どうなりたい?」
そんな問いに対する答えとして、
誰かが喜んでくれる、
そんな人になりたい。そんな人でありたい。
そう答える人は多いです。
それはやはり先ほどあげたように、
人間ならではの「良心」からくるんでしょうね。
でもだからこそ、
その「良心」が満たされない時には、
表裏一体でもある、
「罪悪感」が生じてしまって。
その罪悪感に、
正義感や存在価値の証明、
勝敗、優劣、白黒の倫理観、道徳心、
そういった、
個々各々の個性、強弱と影響し合うと…
過不足という現象が、
現実のものになってきます。
たとえば、
適性に誰かの役にたつ、
それならばたしかに、
「感謝」や「喜び」が循環する、
現実、日常になるんですが、
過度に誰かの役に立とうとすると、
自分では何もできない人が出現したり、
身の回りの人が面倒な人化してきたり、
誰かからの「感謝」を過度に求める、
愛の欠乏状態に陥ってしまうと、
無意識とはいえ、
誰かの能力を奪いとって、
自分が世話をしなければならない状況を創り出す、
自分のポジションを、
誰かの中に再現する、
そんな危なっかしい、
現実世界が展開していくんです。
こわっ… って思ったかもしれませんが、
はじまりはどれも「愛」なんです。
「よかれ」から始まる。
ただ人間は、
「慣れる」動物ですからね。
麻痺してくるんでしょうねお互いに。
やってあげることが慢性化し、
やってもらうことが慢性化し、
自分のために動くことが薄れ、
誰かの反応が評価基準になり、
お世話をさせてくれる人の出現こそが、
自分の存在価値の証明になる。
だから、
お世話係さんになりきってしまうと、
小さな出来事を大きく育ててしまう。
つまり、
事を大袈裟にして、
必要以上に騒ぎ立てて、
自分の出番を作る、
お世話欲を満たして、
相手から感謝してもらおうとする。
また、逆に、
お世話係さんが身近にいる人からすると、
してもらうこと、やってもらうことに、
どんどん浸りきってしまいますから、
感謝どころかその逆、
やってくれないことに不満を募らせ、
モラハラ、パワハラ化していく。
もしくは、
どんどん自分の力が薄れていくので、
病んでしまったり、
依存して自ら立てなくなってしまう。
誰かがどうにかしてくれる、
そんな発想が、
自然と育ってきてしまうんです。
これはもうどちらがどうというより、
互いの過不足による相乗効果
互いを高めあう相乗効果なら、
喜ばしいんですが、
互いを奪い合う、打ち消し合う、
そんな負の相乗効果となると、
無意識とはいえ、
相手から負を引き出しあうと、
常にトラブル、
常に苦、欠、不 ですからね。
愛も過ぎれば毒になる。
仲裁役ばかり、尻ぬぐいばかり、
トラブルの後始末ばかり、
それが自分のポジション…
そんなの、
だれも望んでいないと思うんです。
けれど、
気づけばいつもそうなってる、
どういうわけかいつも貧乏くじをひく、
良くなったと思ったらすぐに運が急降下…
そういわれてみると…
たしかにそんなことが多いなぁ
そう思うのであれば、
ポジションチェンジ、つまり、
その元をたどった先、
セルフイメージをつくる信念、観念、
意識のリニューアル、意識変化、
必要な時なんだよということ。
そのために現実世界で、
トラブルを通して、
自覚や気づきを促されるんでしょうね。
いつまでそうして、
誰かのしりぬぐい役を引き受けるの?と。
あなたはそれを、
望んでみずからやってるの?と。
先日の潜在意識カウンセリングでは、
立て続けに身の回りで、
・自分が仲介役をするような出来事が続発
・必要以上に事を大きくして自分が尻ぬぐいをする
そんなクライアントさんの現実、
自覚なき、無意識の言動、ありかた、
そこが浮上してきたんです。
もともとは「愛情深さ」
ゆえの、
「私が!」という、
多少熱量オーバーな対応が、
夫婦間を意図せず、
ギクシャクさせてしまっていた、
そんな意識と現実の関連性も、
同時にみえてきたんです。
完全無意識だったからこそ、
潜在意識カウンセリングを経て、
気づきにつながり、
理解したこと、腑に落ちたことを、
アウトプットして、
今回メールで送ってくださいました。
アウトプットすることが最も、
腑に落ちる近道。すばらしいです。
ご本人のご了承を得たうえで、
ご紹介させていただきますね。
「無意識」にふれること、気づくこと、
自分の知らない自分に出会うこと、
恐れる人や怖がる人も、
いらっしゃるかと思いますが、
本来ね、
自分を知る、
出来事の核を知る、わかる、理解するって、
ほっと脱力することにもつながるし、
自分のがんばりや健闘ぶりに、
気づいてあげられることなんです。
この世界のおもしろさ、
神秘性、必然性がわかることでもあるので、
癒しでありおもしろさなんです。
グリーンフォレストには、
いろんな出来事に遭遇している方々が、
全国からいらっしゃいますが、
最初こそ泣いてたり、
怒っていたり悲しんだりしてますが、
カウンセリングの終盤では、
脱力したり、
だからだったのか…と納得したり、
それでよかったんだと癒されたり、
なにより、
笑いが多いんです、不思議と。
カウンセリングやセラピーを経て、
楽しかったという言葉、
もしかしたら、
そぐわないように聞こえるかもしれませんが、
ここグリーンフォレストは、
他とちょっと視点が違うのでね。
みなさんだんだん前のめりになって、
どんどんいろいろ聞きたくなってくるから、
※じゃああの時のコレって?…とか、
もしかしてあの時のこれも? みたいに笑
悲しみや怒りが、
好奇心や喜びに変わっていくんです。
責めて(攻め)、正して、
改善を求めることだけが、
前進、成長の方法じゃない。
笑い、脱力し、分かち合う、
これもまた浮上の方法。
「せねば」もたしかに進みますが、
「楽しい」は次元上昇、浮上なんです。
ということで…
7月のご予約枠、
あと2つのみになりました。
7月27日(月)と29日(水)のみです。
7月中のお申込みであれば、
上記の特典は得られます。
予約枠の関係で、
開始は8月からでも大丈夫です。
まずは「気になるよ」と、
ご連絡くださいませ。
迷っている間に早くももう、
7月が中旬にはいっていきますから。
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