私の子どもたち。
あなたがたのうちに
キリストが形造られるまで、
私は再びあなたがたのために
産みの苦しみをしています。
(ガラテヤ人への手紙4:19)
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牧師室から
『キリストが形造られるまで』
ガラテヤ人への手紙4章18〜20節
小泉智牧師
会いたくても相手に会えないもどかしさの中でこの手紙は綴られていきます。しかもしばらく会わない間に、相手は変わってしまい、信仰から離れていこうとしているのです。熱心自体は良いとパウロは認めます。ガラテヤ教会は熱心に満ちていました。ところが今は偽教師の声に影響され、自由と喜びを失い、誤った方向へと夢中です。キリストから離れていることに気づかぬ混乱の中にいます。
この教会を生み出したパウロは、彼らを「わたしの子どもたちよ」と呼びます。霊的には産みの親のような立場なのです。彼らが再び信仰に立つまで産み直す覚悟があるのももっともです。出産のたとえは、いのちを与える神の働きを指し示しています。出産までには時間がかかります。しかし親としてできる限りのことをするものです。
人の心にキリストが形造られる歩みもまた、時間を要する営みなのです。人生がキリストによって形造られ、変化していくのか。それともキリスト以外の何かによって形造られていくのか。どちらかを選ぶ戦いだと言ってもいいでしょう。
もちろんパウロは手紙の文字では限界があることをよく知っています。だからこそパウロは現地に飛んでいき語調を変えて、生の声を届けたいと願っています。真実の声は人を立ち返らせ、信仰の産声をあげさせる力を持つからです。そこに至るパウロの苦しみはどこかでキリストの十字架の苦しみと重ねられます。しかし、主の苦しみをあきらめることなくともに担おうと立つ者がいる限り、そこに希望は失われません。
〜みことばの黙想と適用〜
今日の礼拝メッセージを通して、「人の心にキリストが形造られる歩み」ということについて考えさせられました。これは、とてつもなく時間のかかる歩みだと思います。それこそ一生をかけて形造られていくのだと思います。それは聖霊によって新しく生まれたときから天に召されるときまで、キリストの似姿へと変化させられていくのです。霊的に新しく生まれたときから、私たちは御言葉の乳を毎日慕い求めるようになります。これが「新しく生まれる」ということです。しかし一人で生まれて一人で成長するわけではありません。人の出産に例えられるように、そこには産みの苦しみを担い育てる親の働きをする人がいます。パウロはガラテヤ教会の人々に「私の子どもたちよ」と語りかけます。霊的には産みの親のような立場だったようです。いのちを与えるのは神ですが、霊的に産まれたての赤ちゃんクリスチャンを育てる人も必要なのです。霊的に成長して自立できるようになるまで。そして人生がキリストによって形造られ、変化していくまで、様々な苦しみを通ることもあります。しかし私たちには希望があります。何よりも生けるまことの神である主が私たちとともにおられ、私たちのためにとりなし、支えてくださっていますから!私たちの内にキリストが形造られるまで!やがて苦しみは喜びに変わります!ハレルヤ!感謝します🙏


