ブログにおこしくださり、ありがとうございます。坂本範子です。
広島は、春爛漫。
桜だけでなく、いろんな華が咲き誇る、気持ちの良い朝です。
今日は、伊東充隆医師のブログ記事より、ご紹介をさせて頂きたいと思います。
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■ 吾唯足知
禅寺の庭には、よく写真にあるような蹲踞(つくばい)があります。
水が溜まる様に掘られた中央の正方形の四方には、文字が彫られているのが見えます。
四つの文字は中央の正方形を共有し、上から時計回りに、「吾唯足知」と読む事ができます。
僕は、とてもお洒落なデザインに感心してしまい、
いつか自分もこの蹲踞をお庭に置きたいと思っています。
今のところ、置けるようなお庭はありませんが。(笑)
吾、唯足るを知る
これは、禅のとてもシンプルな教えです。
ここで大事な所は、唯(ただ)ということです。
唯(ただ)とは、何の理由も原因もなくという意味。
足るを知るのに、なんの理由も原因もいらないよと、
教えてくれている。
ひらたく言うなら、ただ幸せでいてごらん!
それに気付いてごらんなさい
と、教えてくれていると思います。
幸せになるのではありません。
すでに幸せでいることに気付くということ。
私達は、それに気付いていないから、
足りない、まだ足りないと自分の外にばかり意識を向けて、
幸せになる原因をモノ、コト、人、状況に求めてしまうのですね。
ここから、人生のあらゆるドラマが展開されて行きます。
得られる事も得られない事もある。
たとえ得られても、すぐに失う恐れがやって来て、幸せは永続しない。
だから、次々と求めざるを得なくなる。
得られなかったら、更に不幸ですね。
インドの最古の聖典ヴェーダンダの知恵にも、
同じ事を伝えている教えがあります。
理由のある幸せは、形を変えた不幸である。
ん~っ、まさに。
人生長く生きている人ほど、身にしみて分かる様な教えです。
さて、どうしたらその理由のない幸せ、唯足りていると感じられるのだろう?
と、考えてしまいましたか?
どうしたら?という問いそのものが、
すでに理由を探しているのです。
ですから、思考に着いて行っても、吾唯足るを知れません。
思考の流れに着いて行かず、逆にその源流を辿ってみて下さい。
焦らないで、何度でも何度でも、源へと意識を向け直して下さい。
するとそこに、こんこんと静かに湧きいずる幸せの泉があります。
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文章で読むと、なんとなく簡単なかんじですが
実際にこのことを実践しようと思うと
なんとむつかしいことか!(笑)
それだけ自我の罠は強固だということですよね~
自分だけだと、わかったつもり、やったつもりになってしまいがちです。
ですが、ちょっとしたことからコツは案外さらりと掴めたりします。
そのコツをつかむのに、青空禅フォーラムは最適。
まっすぐに、ピュアに
そこに触れていきますよ。
「目からウロコです」
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最後までお読みくださり、ありがとうございました。
坂本範子



