東京国立博物館の特別展『三国志』へ
ちょうどこの前日に、上永先生の三国志講座があり、大まかなところは頭に入っていたため、結構楽しめました(^^)
三国志展は写真撮影OK
たくさん撮りましたが載せきれないので主要なところを厳選して記事にいたします(^^)
そもそも『三国志』とはどのような書物なのでしょうか?
編纂したのは、三国時代の蜀で生まれ育ち、後に西晋王朝の官僚となった「陳寿」という人物。後漢時代から三国時代にかけての動乱の時代を今日に伝える歴史書です。
実際にその時代を生きた人が書いたのですね♪
最初のお部屋で一際目立っていた関羽像♡
〜神になった関羽〜
関羽は劉備・張飛と同日に死ぬことを誓い、兄弟のような恩愛で結ばれていました。
建安5年(200)、曹操は劉備を攻撃し劉備とはぐれた関羽を迎えて厚遇。しかし関羽は劉備の所在を知ると、曹操軍が苦戦していた敵将を斬って厚遇の返礼とし、劉備のもとに帰参しました。
曹操は関羽のこの行動を「義である」と称賛し、関羽を止めず攻撃もしませんでした。
19年後に関羽は曹操軍と孫権軍に挟撃され、非業の死を遂げます。
死後に関羽は神として祀られ、中国の人々から今なお篤い信仰を集めています。
☆獅子(一級文物)
有力者の墓の傍にあったとされる獅子。
☆兵士俑
☆鏡台
墓に納めるために作った土製品。
☆多層灯
副葬品。死後の世界を照らす土製の灯り。
4つの部品を積み重ねており、各段に人や動物・樹木などを表した薄板の像が付けられています。
☆五層穀倉楼(一級文物)
後漢の最後の皇帝「献帝」が、曹操の息子の曹丕に譲位した後に余生を送った地で出土しています。
2階までは穀倉、3階以上は物見櫓です。
当時の主要な武器は
剣・刀・槍(ほこ)と弓矢。
中でも柄に弓を取り付け引き金をひいてやを発射する弩(ど)は殺傷力が強く、戦いで重要な役割を果たしました。
〜張飛の蛇矛は実在したか〜
劉備・関羽・張飛のもとに黄巾の一味が来襲しました。迎え撃つ張飛は一丈八尺の蛇矛で敵の武将の鄧茂を一突きにしたといいます。
実際に張飛自身が蛇矛を所持したかどうかは、想像の域をでていません。
これは張飛の蛇矛の実際の大きさを再現したもの。写真だと分かりにくいですが、かなり大きいです
本当にこんなのを人間が振り回していたのだろうか⁇と思ってしまうほど。
ヘビが二又の舌を出したさまを意匠化した矛先。
☆虎型棺座
曹操高陵の再現コーナーもありました!
手前は長男♪
魏の基盤を作った曹操の先祖は、漢王朝創立の功臣である曹参で、祖父は宦官(去勢して皇室に近仕する官)でした。
曹操の死後は息子の曹丕が、後漢のラストエンペラー献帝から禅譲を受け皇帝となり、太祖武帝と追号されました。
よく悪役として描かれる曹操の死因は悪性脳腫瘍と判明しているそうで、現代医学でも治癒は不可能だったとみられています。
〜曹操の遺言と薄葬〜
魏の武王こと曹操は遺言を布告し、葬儀の簡素化つまり薄葬を命じました。
曹操の遺言
情勢が不安定であるゆえ、しきたりに従うことはできない。
よって埋葬後は喪に服す必要もない。
将兵らは持ち場を離れず、官吏は職務を遂行せよ。
遺体を飾ってはならぬ。
金玉珍宝も墓に入れてはならぬ。
NHKの人形劇「三国志」で使われた人形もたくさん展示されていました。
懐かしいですね♡
もっともっとたくさんご紹介したかったのですが、写真の枚数が限界なのでこれにて終了
上永先生の三国志講座や東博の特別展で、ざっくりですが三国志の世界に触れることが出来ました
これからは書物も再挑戦してみようかなと思います

目の丈夫なうちに読み終えることができるかしら(^^;;
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