「感謝しています。」
と我々は言うことがある。
では何に感謝するのか?
配偶者であれ、親であれ、友達であれ、一般的に対象は《誰か》である。
カープの四番打者だった山本浩二は引退の時の手記で「自分の身体よ、ありがとう。」と綴っていた。一見、おかしな表現だが、自分と自分の肉体を分けて考えている(と思えばいい)。練習したり、打席に立ったり、球を投げたりする自分と、配球を読んだり、ボールの落下地点を予測したり、インタビューに受け答えたりする自分とを分けている。山本にとって、いや我々にとって、肉体とは借り物に過ぎないのかもしれない。つまり《精神》《思考》《心》こそ自分自身なのである。
話を戻す。感謝の対象は自分自身以外の何かなのである。「シートベルトのおかげで助かった、ありがたい」と交通事故に巻き込まれた人が言ってもおかしくない。感謝の対象は物だっていい。仮に「自分自身に対して感謝する」と言ったところで、自分自身の存在は他者があって成り立つ。「我思う故に我あり」は自分自身の存在は疑えないということだが、その自分の周りには何かが存在していることでもある。
感謝とは、自分と周りの者(物)があって成り立つ。
脈絡がなくなってしまった。
「ありがとう」「すみません」そういう言葉はとても大事だと思う。感謝しながら日々送って行けたらいいな、と思う。
新年、かくなることを考えた。
今年もよろしくお願いします。