ノーベル文学賞は逸しましたが、数回に分けて多和田葉子について書きます。これは、もし、多和田がノーベリストになった時に図書館で掲示してもらうことを前提に書いたものです。もちろん腹案であって、司書さんたちに校正してもらう前の不完全なものです。
できれば、図書館の司書さん、書店員さん、あるいはこれから多和田を読んでみたい、読んだけれど難しかったと言う方にご覧いただければ幸いです。
はじめに
新聞、その他の出版物、あるいは昨今、パソコンやスマホで経歴等紹介したものにアクセスは容易でしょうから省きます。ここではあくまでも多和田葉子の主だった作品とその解説に絞ります。また、敬称は略させていただきます。これは熊本県K市の(小説好きな)一市民たる小生個人の感覚によるものですが、参考にしていただければ幸いです。
【ほぐすことのできない単語に矛盾する形容詞を付けてみると、脳の一部がほぐれる感覚がある。温泉の中でこの遊びをして、マッサージ代わりに楽しんだ。鎖国的開国、国民無視の民主主義、病的健康、負け組の勝利、窮屈な自由、できるダメ人間、年とった若者、無駄なお金のかかる節約、贅沢な貧しさ、手間のかかる即席、安物の高級品、危険な安全保障。こうして集めてみると、これは単なる遊びではなく、社会を透かして見るのに、必要なレトリックだという気さえしてくる。】
これは、『言葉と歩く日記』からの引用ですが、多和田葉子という作家を象徴している一節だと思いました。小生は、まず小説を数編読んだ後、この日記形式の随想に当たったのですが、ああ、なるほど、常々頭の中で対になる言葉を並べており、それが創作の一つの原点になっているのだな、と妙に得心したのです。
【寝不足だったり不愉快だったりするのに原稿がおもしろいように書けることもあるし、気分はさわやかで頭は冴えているのに全く書けないこともある。予想がつかないことへの不安から、迷信深くなったり、個人的な儀式を思いつく作家もいる。朝、まず決まったカップで、決まった種類のコーヒーを決まった入れ方で入れて飲む。わざと縁の欠けたカップで飲む作家もいるだろう。「欠ける」に「書ける」をかけているのだ。また、ひらめきを得るために、朝ご飯にはヒラメを食べたいと思う作家もいるだろう。】
集英社・すばる誌二〇一四年九月号『カラダだからコトの葉っぱ吸って』より。このように同音異義語、同訓異義語を以て推敲を試み、時にふざけているんじゃないかとすら思われることすら書くこともあります。池澤夏樹は文学全集の解説で、
多和田葉子は日本とドイツ、日本語とドイツ語の両方にきっちり半分ずつ所属する作家で、そこで混同と混乱と故意のすり替えを利用して詩と小説を生み出している。言い換えれば、彼女はこのホッキョクグマ(後述する『雪の練習生』の主人公) であり、国家と言語と民族のモザイクからなるヨーロッパの住民である。島国の民にはなかなかわからないことだ。
と述べています。
これから多和田作品を読まれる方には、あまり綿密に意味を考えるのではなく、頁をどんどんめくることをお勧めしたいと思います。つまり、理屈で考えてしまうと、元も子もなくなってしまいます。あくまでも純文学作家であり、それは受け取る側にとって一様ではないからです。一例ですが、夏目漱石の『こころ』こそが近現代文学で最も重要な作品だと言う作家もいれば、失敗作だと言う人もいるのです。直近の芥川賞受賞作の『むらさきのスカートの女』で、語り手である黄色いカーディガンの女と、語られる対象である紫のスカートの女が、実は同一人物ではないか、いや違うと論議(?)になり、これに対して、著者の今村夏子自身「分からない」と書いています。このように文学には答えがないし、様々に解釈されて然るべきものでしょう。
小生にとっては、作品によって好き嫌いが分かれる作家です。『雪の練習生』は社会風刺も文明批評をも盛り込んだ傑作だと思います。その一方、『献灯使』は、さていよいよ物語も佳境、と思ったところで突如終わってしまい、拍子抜けしたような、適当にはぐらかされたような気持ちになりました。良い気分ではありません。しかし、くどいようですが、受け手により様々で、Aさんにとっての名作が、Bさんにとっての駄作ということがあり得ることも致し方ないことです。
それから、時に文学を理解するのに時間が掛かることもあると思います。愚鈍である小生は、中学三年生の時、学校の教科書に掲載されていた魯迅の『故郷』の意味が最近になってやっと分かった気がしています。コンパスにたとえられた豆腐屋の楊おばさんが纏足でありながら、素早く動ける筈がないのです。魯迅は敢えて「纏足」と「足が速い」という矛盾した事象を描いてみせたのです。普通の清朝末期のインテリが、中国の旧い習慣はけしからんと訴えるのであれば、纏足だった為に火事で逃げ遅れた婦女子がいる、などと書いたでしょうが、魯迅はそうはしなかった。しかし読者には大変なインパクトを与えたのです。この点は多和田葉子にも通じているのではないかと思います。数年後、いや『献灯使』こそ名作だと言っているのかもしれません。
※多和田葉子『言葉と歩く日記』岩波新書
※池澤夏樹編集・日本文学全集二八巻・近現代作家集Ⅲ・河出書房新社
後述しますが、この二八巻に多和田の『雪の練習生』の第一章と川上弘美『神様2011』を収録してあります。
※今村夏子『むらさきのスカートの女』朝日新聞社