歩いて行ける範囲では文房具屋を兼ねたS書店と、小規模のツタヤ書店しかないのだが、文庫本の新刊すらないというありさまで、腹を立てたりがっかりしたりしている。それでも本読みの常で、週二回くらいは足を運ぶ。さすがに店長に名前を覚えられ、電話の声でも愚生だと分かるらしい。しかし、品揃えがよろしくないというのは、いい点もある。大きい書店だと、あれこれ見て回り、2~3時間平気で無駄にしてしまうが、まあこんなことがないからである。
『車輪の下』ヘッセ・高橋健二/新潮文庫19-109
★★★★★スタンダール(1783~1842)もゲーテ(1749~1832)も、もう旧いと思う。本読みとしては異端者なのかもしれないが、自分に嘘はつきたくない。反面、ヘッセは19世紀生まれとは言え、作家としての活動は20世紀がメインであるし、まだ近しいという感じがする。いわゆる落ちこぼれの話であるが、親の期待と自尊心がアダになり…と、もちろんそれだけではないのだが、主人公の少年のおかれた立場と、その葛藤は21世紀の今日でも変わらないと思う。
ところで、古いものは面白くないのか、といわれれば、もちろんそんなことはない。源氏物語であれ、土佐日記であれ、千年も生き残っている古典は、基本的に面白い。海外のものではシェークスピアも今なお良い。
まあ、このへんは人それぞれということなのだろう。書かれていることに喜びを感じなければただの古典。訴えかけるものがあると思われれば、生きた文学である。
さて、本屋の話になるが、さっき例のツタヤで文藝春秋8月号を見てびっくり。冒頭のエッセイが藤原正彦に替わっている。司馬遼太郎→阿川弘之→立花隆ときて、まさか次が藤原とは思わなかった。福田和也か坪内祐三か他に人はいなかったのかと思う。角田光代でもいいではないか。もう、週刊誌に毛の生えた程度でしかないんだろう。地に墜ちたな。以前、筒井康隆が自分の出演した映画のストーリーを読者にバラしていたことがあった。深田恭子主演のミステリーで、10代くらいの女の子を主な対象にしたものだったので“文藝春秋をお読みの読者には犯人を明らかにして差し支えないだろう”などと書いていたが、ハイソな感じはもうない。論述のきちんとした月刊誌を買いたい方には、中央公論をお勧めしたい。
繰り返し書いているが文藝春秋社は、今世紀になって「諸君!」を廃刊にしたこと、お笑い芸人に芥川賞を授賞したこと、二つの大きな失敗を犯した。出版社にとって書籍を売ることは使命だが、売ることだけを考えたらおかしくなる。