「悲しみよ こんにちは」:十九歳でなければ書けない小説があるのだ。若くて、才気があって、まだ人生に無知なゆえに残酷。場所は南仏、時期は夏、美貌の人々、テーマは愛と策略と死……もう完璧ではないか。サガンは一生この処女作をなぞって書き、この小説のように暮らして死んだ。・・・・・・と池澤夏樹が書いている。同じように、綿矢りさはそれなりの純文学作家になったが、デビュー作である『インストール』以上のものは書けないのではないだろうか。
『蹴りたい背中』綿矢りさ/河出文庫19-100
★★★★★芥川賞受賞で文藝春秋誌に掲載されて以来の再読である。やはり今なお面白い。ただ、高校三年生を主人公にした『インストール』の方が高校一年生主人公の本作よりも、無駄なく整理がなされている。しかし、本編も秀逸で歴代芥川賞受賞作中、かなり上位にランクすると思う。
登場人物各々が矛盾を抱えている。高校で無理してどこかのグループに所属することはないとハツは割り切っている。が、その癖に、無関心どころかクラスメイトのひとり一人を実によく観察しているし、休憩時間をどうやり過ごすかが最大の悩みである。第二の主人公であり、この小説の‘メインテーマ’である「にな川」は、ハツより一歩進んで、友達がいなくて当然であるという事実を受け入れているし、その関心は学校や勉強や人間関係にはなく、オリチャンというファッションモデルに向かっている。ハツは「にな川」を自分よりも、一段下に位置づけ、彼の不幸を願ってすらいるのだが、その実、超越した存在である。絹代からは恋していると誤解されているのだが、サディスティックなハツとマゾヒスティックな「にな川」が噛み合っているだけだとも言える。最後、ハツ、にな川、絹代の三人が揃ってオリチャンのライブに行って、絹代は「楽しかった」どころか「誰かに早く話したい」のである。舞台裏でオリチャンに近づこうとした「にな川」は係員から注意を受け、意外にも、このオタク少年(両親と食卓を共にすることはないし、親も扱いに困っているであろう)は反省し、逆にオリチャンとの距離を感じてしまったと言う。
学校で浮いてしまっているハツが、(中学の時のバレーボール部のような集団競技を嫌っているとはいえ)陸上部に所属していることも、蜷川家の両親が極めて常識的であること、絹代がアルバイトで金を稼いでいることも、ちょっとずつ意表を突く。登場人物それぞれの思惑のズレが読者を巻き込む。そういう巧さのある小説だ。
この小説での高校生生活は社会人のそれよりも息苦しい。親からもらう小遣いでやりくりしているハツと「にな川」を大人たちは甘えていると笑えるだろうか。愚生も高校生活は鬱陶しかったし、「にな川」の様にして三年間をやり過ごした。「高校生の頃は楽しかった」という人間が、理解できないままである。高校とはすなわちプリズン。日本における『イワン・デニーソヴィチの一日』の様である。