見城徹の炎上 | ricky321のブログ

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我が事を棚において書くことをご勘弁頂きたい。
【虚心使人進歩、驕傲使人落後】という中国でよく用いられる格言のようなものがある。使は使役で英語のmakeやletに該当する。読んで字の如く、「謙虚さは人を進歩させ、傲慢さは人を駄目にする」という意味である。

18-063見城徹『読書という荒野』は賛否分かれる書籍で、否定的にみている人は、「既読の内容だった」「自慢話ばかりで鼻につく」「非論理的な考えを全面に押し付けてくる」など書いている(Amazonのレビュー)。
なぜか、件の津原氏の本の出版を取りやめたツイートが話題になる数日前、上記の書籍に目を通していた。さらになぜか(地震が起きないといいな)と思った日に宮崎で震度5の地震があった。裏目が出続ける負のスパイラルが続いている。それはともかく、眺めた感想は「わがまま」のひと言である。漱石の『こころ』が云々と、要はものすごく感動したらしいのだが、愚生は『こころ』が嫌いだ。石原慎太郎の『太陽の季節』も賞賛していたが、結構ステレオタイプで、時代に流されたミーハーな読書家ではないかと思う。賛同できる面がないではないが、虐められて強くなる。コンプレックスがエネルギーに変わるだとか、痛い話も多く不愉快だ。西村賢太なら、この痛みを笑いに変えたり、文学と呼ぶに値する域に持って行くことができるのだが。

編集者としては有能かもしれないが、物書きとしては二流三流だと思う。さらに社(角川)の経費で村上龍と川奈ホテルで豪遊し、経理部から睨まれたと書いているが、とすれば、見城が角川を退社したとき、手を叩いて喜んだ社員が大勢いただろうと想像できる。

たびたび書いてきたことだが(Amazonのレビューや掲示板で、だが、大概消された)、最近の幻冬舎は出版を急ぎすぎるきらいがある。作家と編集者が構想を練りに練って満を持して発売という本が少ない。派手な新聞広告を出し、目次を大きめのフォントを使って羅列。世間を騒がす問題作かと思いきや、中身は薄っぺら、という経験を多くの読書家は経験したことだろう。
さんざんネットや新聞を騒がせたから委細はここでは書かないが、一連の発言や見城の本からワンマンで、販売数至上主義者の臭いがする。社内でパワハラまがいのことをかなりやっているだろう。「なんだこの野郎、てめえが担当した本は千部しか売れてねえじゃねえか。」と部下を虐めているだろう。「あの作家の書いた小説は売れないから、もう関わるな。」などと言っているだろう。実際はやっていないかも知れないが、世間にそう思わせてしまったからもう遅い。
「この本は売れなかったが、少し待てば評判になるかも知れない。絶版にするのは惜しい。」
「この作家は無名だけれど、将来性を感じる。辛抱してウチから本を出し続けてもらおう。」
「これは地味な本だが良いね。高校生に手に取って欲しいよな。そのセンで販促を掛けよう。」
こういったことばが見城の口から聴かれるとは思えない。見城は、「たかが選手」と言ったナベツネ同様に、いやそれ以上にタチが悪い。

売れることは、出版社としてもっとも重要なことである。これには疑いを挟まない。しかし短絡に売れさえすればいいのだという考えは歪(いびつ)である。買ってもらった読者の満足感が大事であるし、読書人口を増やすことも然り。内閣に何らかの不正があれば追及するというような社会的責任がある。講談社は売れなくても純文学の「群像」誌を出している。漫画雑誌から見れば微々たるもの。発行部数からすれば赤字だろう。が、長い目で見れば文芸誌はあったほうがいいと経営陣が考えているからではないだろうか。

傲慢さゆえに見城は自分で自分の首を締めたのである。