以下、少し前に書いたものである。※但し当ブログのものではない。
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遊び半分で、この作家は何がベストだろうと考えてみることがある。
例えば、「漱石なら、やっぱり笑える坊ちゃんがいい、」、「司馬遼太郎は花神かな、いやいや他にある」、「高村薫はマークスの山に尽きるなあ」…そういう脳内遊びを楽しんでいる。
開高健は『夏の闇』にしようか『輝ける闇』にしようか、あるいは引き分けにしようかとも、など考えていたが、タイトな短編、『玉、砕ける』を選択した。
開高の本質は詩人である、と私は見る。というか詩そのものだろう。
──彼はアーマライト銃の引金に指を掛けて鋭くあたりを見まわしつつ歩いて行った。強大な腰を右にひねり、左にひねり、彼は全身汗にまみれ、かるがる木の根株をまたいだり、茂みに潜ったりして進んでいった。──
『輝ける闇』だが、斯くの如く開高の描く人物は実に「右に左に、○○したり、△△したり」するのである。特長でもあるのだが、時にくどく、短所にもなる。したがってどうしても彼の代表作たる闇二編から選ぶことは出来なかった。
──レストランへ行ってもすみっこに壁にぴったりくっついてすわるか、日本人同士いっしょになってすわるかしないことには安心できないらしいし──
『夏の闇』で‘女’が言うセリフなのだが、もうこういうこともないだろうと思う。野球選手しかりサッカー選手しかり、宇宙飛行士でも一人で海外へ行く時代。古いと感じたからである。
さて、老舎の死を題材にした『玉、砕ける』。小者が読んだのは高校二年生だったろうか。まだ老舎を知る前である。大学(中国文学)を卒業するくらいの時にはっと思い出した。開高のあの小説は老舎について書いてあったんだ、と。本編の持つ良さも高校生には理解しがたかった。
今再読してみるといいねえ。短編に開高の文学がぎゅっと濃縮されている。
日本に帰る途中(帰国が嫌なので、「日本に帰ると身体に黴が生える」と表現している)、香港に寄る。地元の作家と老舎のことを話す。風俗(性風俗ではない)で、垢を摺り落としてもらうのだが、三助?が摺った垢を球体にして呉れる。香港から飛行機に乗ろうとしたとき、老舎が殺されたことを知る。たったそれだけの話。だが、文章に何とも言えない艶がある。
文中から引用する。
──初老だけれども迫力のある、炸(はじ)けたような、流暢な日本語
──ネギ、白菜、芋、牛の頭、豚の足、何でもかたっぱしからほうりこんでぐらぐらと煮立てる。
──私は重力を失って、とろとろと甘睡にとけこんでいく。
開高らしさで溢れている。
さらに、中国人の是か非かはっきりしない様子を馬馬虎虎(マーマフーフ)と言うのだが、「あいまいであることをハッキリ宣言している」という記述。
また
『四世同堂』よりも『駱駝祥子』の方が上であり、その理由を「ヒリヒリするような辛辣と観察眼とユーモア」と述べているが、ずばり本質を突いている。四世同堂はいささか共産党に配慮した記述が見受けられる。
中国文学を経験した上では身にしみる言葉である。そういう私的な力学も加わって、開高健ベストはこの一編を選んだ。開高文学のエッセンスが詰まった傑作だ。
例えば、「漱石なら、やっぱり笑える坊ちゃんがいい、」、「司馬遼太郎は花神かな、いやいや他にある」、「高村薫はマークスの山に尽きるなあ」…そういう脳内遊びを楽しんでいる。
開高健は『夏の闇』にしようか『輝ける闇』にしようか、あるいは引き分けにしようかとも、など考えていたが、タイトな短編、『玉、砕ける』を選択した。
開高の本質は詩人である、と私は見る。というか詩そのものだろう。
──彼はアーマライト銃の引金に指を掛けて鋭くあたりを見まわしつつ歩いて行った。強大な腰を右にひねり、左にひねり、彼は全身汗にまみれ、かるがる木の根株をまたいだり、茂みに潜ったりして進んでいった。──
『輝ける闇』だが、斯くの如く開高の描く人物は実に「右に左に、○○したり、△△したり」するのである。特長でもあるのだが、時にくどく、短所にもなる。したがってどうしても彼の代表作たる闇二編から選ぶことは出来なかった。
──レストランへ行ってもすみっこに壁にぴったりくっついてすわるか、日本人同士いっしょになってすわるかしないことには安心できないらしいし──
『夏の闇』で‘女’が言うセリフなのだが、もうこういうこともないだろうと思う。野球選手しかりサッカー選手しかり、宇宙飛行士でも一人で海外へ行く時代。古いと感じたからである。
さて、老舎の死を題材にした『玉、砕ける』。小者が読んだのは高校二年生だったろうか。まだ老舎を知る前である。大学(中国文学)を卒業するくらいの時にはっと思い出した。開高のあの小説は老舎について書いてあったんだ、と。本編の持つ良さも高校生には理解しがたかった。
今再読してみるといいねえ。短編に開高の文学がぎゅっと濃縮されている。
日本に帰る途中(帰国が嫌なので、「日本に帰ると身体に黴が生える」と表現している)、香港に寄る。地元の作家と老舎のことを話す。風俗(性風俗ではない)で、垢を摺り落としてもらうのだが、三助?が摺った垢を球体にして呉れる。香港から飛行機に乗ろうとしたとき、老舎が殺されたことを知る。たったそれだけの話。だが、文章に何とも言えない艶がある。
文中から引用する。
──初老だけれども迫力のある、炸(はじ)けたような、流暢な日本語
──ネギ、白菜、芋、牛の頭、豚の足、何でもかたっぱしからほうりこんでぐらぐらと煮立てる。
──私は重力を失って、とろとろと甘睡にとけこんでいく。
開高らしさで溢れている。
さらに、中国人の是か非かはっきりしない様子を馬馬虎虎(マーマフーフ)と言うのだが、「あいまいであることをハッキリ宣言している」という記述。
また
『四世同堂』よりも『駱駝祥子』の方が上であり、その理由を「ヒリヒリするような辛辣と観察眼とユーモア」と述べているが、ずばり本質を突いている。四世同堂はいささか共産党に配慮した記述が見受けられる。
中国文学を経験した上では身にしみる言葉である。そういう私的な力学も加わって、開高健ベストはこの一編を選んだ。開高文学のエッセンスが詰まった傑作だ。
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補足①
老舎『駱駝祥子』には2バージョンあって(上記のように共産党に配慮したものがある)、岩波文庫に収録されたものと、学研の老舎全集に収録されたものがあるが、学研版の方が最初に書かれたものでこちらの方が良い。
補足➁
四世堂々、ではない。曾祖父母、祖父母、父母、子の四世代が一同に暮らすことなので「四世同堂」。かの国では理想とされる家族像。
補足③
祥子と言っても「さちこ」「しょうこ」のような女性ではない。小野妹子と同じく男。しかも筋骨逞しい。
新潮文庫『ロマネコンティ…』収録作。
