∞▼†その声は語る†△∞ あの時も聴いていました。✨✨❤️✨✨ | みらくる☆彡

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只今ダンナさまの通院サポート中、

久々の緊急地震速報が!!

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11時2分に

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同時に起きました、この揺れ。

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やはり、感謝しかありません。

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大い生る自然界の営みに。



∞△†平家と源氏の和合の光†▼∞ |KO KO RO
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。。。つづき


天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)は、
広島県福山市神辺町川北にある神社
式内社で、旧社格県社

古くは「神辺大明神(かんなべだいみょうじん)」や「甘濃厳大明神(かんのびだいみょうじん)」とも称されていた。

神辺の町並み南方の黄葉山中腹に鎮座し、「神辺」の地名は当社に由来するといわれる。

祭神は次の5柱。

主祭神豊玉姫命(とよたまひめのみこと) - 元々の祭神とされる。
速進雄命(はやすさのおのみこと)
事代主神(ことしろぬしのかみ)

配神吉備津彦命(きびつひこのみこと)
火之加具土神(ひのかぐつちのかみ)

配神の2神は、大正3年に川北村字掛の吉備津神社を合祀したことによる。

古代、当社周辺は「穴海」と呼ばれる入海であったとされ、社伝では、
網付谷にあった荒磯岩上に磯神神社として鎮座し、のちにその奥の小中山に遷座したとされる。

同じ備後国内には、
豊玉姫命の父・豊玉彦命(大綿津見命)を祀る沼名前神社(福山市鞆町)や、
夫・蘇羅比古(彦火火出見命)を祀る蘇羅比古神社(庄原市)があり、
当社はその中間に位置する。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では備後国安那郡
「天別豊姫神社」と記載され、式内社に列している。

江戸時代には福山藩主の水野氏・阿部氏からの崇敬を受けた。

明治元年(1868年)福山藩の調査で式内社とされ、同2年(1869年)公称を「天別豊姫神社」に定められた。
明治6年(1873年)に近代社格制度において郷社に列し、
昭和15年(1940年県社に昇格した。

古来、福山市の神辺町・駅家町・新市町辺りまで入江となっており、海であった。 

この一帯に住んでいた漁民が豊漁を願って、海神である豊玉姫命を祭ったのではないかといわれている。

伝承によると、現在の鎮座地である吉野山の東麓、網付谷というところの荒磯岩上に磯神社として鎮座し、後にさらに奥の地の小中山という地に遷座、
建武年中(1334~1335)に朝山次郎佐衛門尉景連が黄葉山(吉野山)上に神辺城を築城した際、城郭の守護神として現在の地に遷座したと言われている。

いつから天別豊姫神社と称するようになったのかは定かではない。

後に神辺大明神と呼ばれるようになり、
明治2年に再び現在の社名に改称した。

-式内社調査報告より-

。。。ほのぼの キラキラ☆キラキラ☆

夫 「 蘇羅比古 ( そらひこ ) 」 というのは 「虚空津日高(そらつひこ)」 のことで
彦火火出見命(山幸彦)の別名です。

天津日高日子穂穂手見命(あまつひこたかひこほほでみのみこと)という正式な
御名前から出てきた名前が
虚空津日高なのでしょうけれど、
「蘇羅比古」は
もう一段省略されています。

ブラックマリア、虚空津姫しゃまが

こちらにおわしますのは
どちらさまなのか、

教えてくださっていました。シャボン玉シャボン玉

清らかなりて進む道

ひな型整い  橋  渡す

「 スフィンクスの足元を見よ 」

まるでこちらは、
宇宙図書館の入り口みたいね。笑 キラキラ☆キラキラ☆

手放し満ちる  天の星

受け取り渡す  地の星  我なり

にゃっ‼ オッドアイ猫キラキラキラキラ

にゃ~♪ヽ(´▽`)/虹虹

みゃ~♪ヽ(*´∀`)ノ キラキラ☆キラキラ☆

柳  しなやか  柔和にて

度胸もすわり  千里眼