🌟🌟🌟🌟つづき
「河村」の姓は、父・秀高(名は遠実(とおざね)とも)がその父(秀清の祖父)である波多野遠義(とおよし)から河村郷の所領を譲られてそこを本拠とし、その地名をとって名乗ったことに始まる。
河村郷を中心とする義秀の所領(本貫地)は没収され、本来ならば斬罪に処されるべきところを、以前より頼朝方であった景親の兄・景義の計らいによって罪を赦されている。
9月には本領であった河村郷を安堵され、以後御家人として活動することとなる。
義秀が捕縛された時、その弟である千鶴丸は浪人となり母・京極局のもとにいたようである。
これに感激した頼朝は、8月12日、船迫駅において、自らの御前で元服させたという。
加えて秀清は戦後の論功行賞により、
確証はないが、秀清自身はその中間地である茂庭に居を定めたとする説が有力視されている。
以後、河村氏は本家筋の波多野氏とともに北条氏に従い、承久3年(☆1221年)の承久の乱では兄・義秀とともに幕府方について宇治川で戦い、武功を挙げた。
その後は没年を含め不明である。
つづく🌟🌟🌟🌟






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