

八尋熊鰐神
大行事社の祭神を見ると
「事代主命、八尋熊鰐神、加屋奈流美神」の三柱となっています。
事代主命が「ワニ」に化身して
大阪三嶋の溝杭姫(亦の名、玉櫛姫)の許に通った伝承がある。
大国主神(オオクニヌシ)が国造りを共同でおこなっていた少彦名神が
常世国に去ってしまい困惑していた時
『海の彼方から』光を放ちながらやって来た神様がありました。
その神はオオクニヌシに向かって
『私を丁寧に祀るのなら、一緒に国造りを手伝ってやろう』と宣言し、
更に『倭の青垣の東の山(三諸山=三輪山)に斎祀れ』と要求したと古事記が伝えています。
その神様が大神神社の大物主命だった訳ですが、
日本書紀の第六の一書も、
ほぼ同じ内容を記した上で『大国主神、またの名は大物主神、または国作大己貴命と号す』とも記録しています。
神話の流れからすれば、
高天の原を追放された素戔嗚(スサノオ)が葦原中国に降り立ち、
娘婿である大国主命が葦原色許男命となって国を作り固め、更に、
その国を天孫ニニギノミコトに「譲る」段取りとなるのですが、
この途上でオオクニヌシの国造りを手伝う少彦名命が登場します。
倭には大物主命という
「天の下造らしし大神」が先住していたはずです。
さて、事代主命は大国主命と神屋楯姫命との間に生まれた息子であり、
かつ倭の大物主命の子でもある訳ですが、その彼がある動物に変身します。
これ、大三輪の神なり。
この神の子は、すなわち甘茂君たち、
大三輪君たち、
また姫蹈鞴五十鈴姫命なり。
また曰く、事代主神、八尋熊鰐に化為りて、
三嶋の溝樴姫、あるは云わく、玉櫛姫というに通いたまう。
しこうして児、姫蹈鞴五十鈴姫命を生みたまう。
これを神日本磐余彦火火出見天皇の后とす。
これは日本書紀の神代上、
第八段「第六の一書」にある文章です。
神武帝の即位前紀にも同様の文言があり、
古事記は娘の名前を勢夜陀多良比売とし、
児の名は比売多多良伊須気余理比売と伝え、
父親は事代主命ではなく
「美和の大物主神」そのものだったとしています。
『日本書紀』景行天皇十二年九月条に「国前臣の祖<兎名手>」とある。
岩波文庫版『日本書紀』の補注によれば、国前臣の祖<菟名手>を
「国前臣は大分県“国東半島”に本拠をもつ氏族。和名抄に豊後国国崎郡国前郷がみえる。孝霊記に日子刺肩分命を豊国の国前臣の祖とし、旧事紀・国造本紀には国前国造を掲げ、志賀高穴穂朝(成務天皇)、吉備臣同祖吉備津命六世午左自命、定賜国造。とする」


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