【蟹工船】
小林多喜二
新潮文庫刊
1953年6月28日発行
ブームだということで読んでみた。
悲惨なストーリーである。
描写がなんともやるせないが、上手い。
私も船に乗っていたから、あの船上(船内)の雰囲気がよく分かる。
本当に乗って取材しなければ、書けない描写である。
ストーリーとして、確かにクーデターに至る事情は、自然である。
しかし、あまりにも稚拙な計画である。
いくら、極限状態に追い詰められていたとしても、反乱を起こした後の、着地点くらい考えるはずだろう。
まあ、そこは小説。理詰めだけが目的ではない。
一応、プロレタリアート作家とされている。
資本家および、国家の体制に対して、批判する内容である。
現に作者は、逮捕され、獄死してしまった。
だが、この作家は、単に労働者階級の覚醒を求めていたのだろうか。
求めたとして、マルクス主義を崇拝していたのだろうか?
私はちがうと思う。
漂流した川崎船が、ロシア側に辿り着き、ロシア人(中国人も)たちの、共産主義の洗礼を受ける箇所で、作者は滑稽に描いている。
私は、そういう「主義」にかぶれて書いたのではないと思う。
人間の、どうにもならない弱さ、醜さなど、本質的なものを、この極限ともいえる設定の中で描きたかったのだと思う。
そうでなければ、この作品は残らなかったはずである。
さて、この本が何でブームになるのか?
現代のワーキングプアの状況を代弁しているという。
確かに、資本家に詐取されるという構造は変わっていない。
だが、本当に詐取されているのだろうか。
働けど働けど、生活は一向に向上しないのは、辛いだろう。
それを、社会構造に問題があると、矛先を持って行くのだろうか?現代の若者達は。
それとも、蟹工船の悲惨さに比べれば、いまはもう少しましだと思うのだろうか?
これを読んで、若者達はいまの社会に怒りを感じるのだろうか。
それとも、救いを感じるのだろうか。
はたまた、オチャラケの話題にするだけなのだろうか。
いや、まったく別のことを、この本から感じるのだろうか。
私には、分からない。