今を生きる(その2) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、死について考えていて「今を生きる」にたどり着いたところで前回は終わりました。

最近ぼくは「時間」って存在しないんじゃないかと本気で考えているんです。

時間は無くて、あるのは「変化」だけだと。

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なにを馬鹿なことをと言われるでしょうが、時間なんて人間が勝手に考えた概念に過ぎないのじゃないですか?

それに対して、「時間が無い」とか「時間に追われる」とか、「限られた時間」というふうに実際に時間は存在するじゃないかと反論されるでしょう。

でも、何時何時までに仕事を仕上げろとか、目的地に着けとかは、勝手に人間が決めた目標でしょう?

だって、人間以外の動物は時間に縛られていないじゃないですか。

「今を生きている」だけです。

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時間に関連して、もうひとつ例を挙げます。

昔は人生50年とか、今は100歳が人間の寿命とかいわれていますが、犬の寿命はせいぜい10年から13年です。

dog yearなんていわれるほど犬の寿命は短いですよね。

だから可哀想とか人間は勝手に思い込んじゃうけど、犬にとっての一生と人間の一生は同等じゃないですか。

犬が8~12年の寿命のウサギや4年のモルモットに向かって可哀想というでしょうか。

一生は一生なのです。

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すると、時間なんて犬と人間では定義が違わなきゃならないはずです。

たまたま地球は365と1/4日で太陽を回っていて、地球の自転を24で割って1時間と人間が決めただけです。

犬にとっては1日はものすごく長く、人間の6倍くらいに感じているはずです。

時間は同等には過ぎていかない。

これほど時間というものは、人間にとって都合のいい概念に過ぎないのです。

犬の気持ちになって物事を見ると、あるのは今しかなく、感じるのは変化しかないはずです。

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満開の桜を愛でながら、詰まらんことを考えるものです。

桜の木は何年の寿命なんでしょうね。

誰に言われるともなく、春になれば花を咲かせ、そして散らすだけです。

それを繰り返しているだけです。

人間がそれを見て死を連想するなんて知ったことじゃない。

そのことに意味など考えない。

あるのはただただ変化を続けていくだけです。