神は語らない | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、 「はじめに言葉があった、・・・・・・・」 は誰が言ったのか知らないけれど(ヨハネだけど)かなり苦し紛れの言のようにぼくには思われます。

 

そもそも神は言葉で語るでしょうか。

 

何語で?というのではなく、言葉というものは定義が必要でしょう?

 

辞書が存在するのはそのためです。

 

だけれども、辞書は言葉で書かなければならない。

 

すると全ての言葉に定義が必要になる。

 

言葉とはそういうものなのです。

 

だから、神が定義によって異なる解釈が生まれる言葉を使うはずがないでしょう。

 

そういう事情によって、神は預言者(interpreter:翻訳者)を必要とする。

 

苦し紛れでしょ?言葉で伝える預言者が必要だなんて。
 

イエスが十字架上で発した問い、 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 に対して神は言葉では答えません。

 

遠藤周作の「沈黙」でも、まさしく神は沈黙をもって答えたのです。

 

それ以外に方法はないでしょう。

 

ですから、神の言葉を知るためには文字で書かれている聖書を読むのは一番遠回りではないでしょうか。

 

神は語らない代わりに示すだけなのです。

 

どうやって?

 

視覚で、聴覚で・・・・人間が備える全ての感覚を通して。

 

神の声を聞きたければ、森の中に入るのが手っ取り早いでしょう。

 

森以外にも山頂に至る道、川岸、海辺、星空の下・・・人工物から離れた自然の中ならどこでもOK。

 

自然の中で全ての感覚を解き放ち、神の声を聞くのです。

 

それ以外に方法はない。

 

世の中には様々な宗教がありますが、瞑想を通して「悟り」を求める仏教が一番合理的だとぼくには思われます。

 

以上、無神論者の戯言でした。^m^