・・・・・・っということで、イスラム教が短期間で驚異的に広がった理由を考えています。
先輩格のキリスト教はどうだったでしょうか。
キリスト教の歴史は西暦と同じですから、便利ですね。^m^
4世紀初めにコンスタンティヌス1世により公認され(313年ミラノ勅令)、その後テオドシウス1世によりローマ帝国の国教とされたのが392年ですから、お墨付きを得るのにまあ400年もかかっているわけです。
ビザンティン帝国はもちろんキリスト教国ですが、帝国民がすぐにキリスト教を受け入れたのでしょうか?
皇帝自らにしても、コンスタンティヌス帝のあとを継いだユリアヌス帝はキリスト教を捨てて多神教に戻っています。
そのため彼は「背教者」とキリスト教徒から呼ばれ、人気がないのですが。
皇帝でさえそんな具合だったのですから、一般の帝国民がスンナリとキリスト教を受け入れたはずがないのです。
本当にキリスト教を心から信じるにはさらに時間がかかったと思うのは当然でしょ?
ぼくが思うに、621年にササーン朝に、674年から678年と717年から718年に2回イスラム軍にそれぞれコンスタンチノープルが包囲されたときに守りきってからじゃないかと思うんです。
この危機を乗り切ったことにより、コンスタンチノープルは神に守られた都だと一般市民が思うようになったのではないでしょうか。
何を言いたいかというと、キリスト教が本当に信じられるようになったのは、少なくとも700年の時間の経過が必要だったということです。
もちろんぼくはキリスト教の浸透する力を侮っているのではありません。
ポルトガルの宣教師たちの布教活動によって、九州各地の住民がキリスト教に改宗したその浸透力は驚異的であります。
16世紀末には、日本のキリスト教信者の数は50万人にも達したといわれ、それは当時の日本人口の3~4%だったのです。
日本の為政者にとって看過できなくなったのは無理もありません。
・・・・・・
しかしながら、イスラム教は発生から1世紀あまりで大帝国を築き上げたほどの浸透力を持っていたのです。
キリスト教と比べたとき、このスピードの違いの正体はナンだったのでしょう?
それはイギリスの学者が「コーランか剣か」と表現したように、それは暴力を伴った「布教活動」だったと見るのはあながち間違いではなかったのです。
・・・・・・つづく。