・・・・・・っということで、元寇の次は白村江(はくすきのえ)の戦いね。
外国人と付き合うとき、日本史のことをほとんど知らないことが恥ずかしく思われる。
もう外国人と付き合う機会はなくなってしまい、せいぜい旅行の時くらいになってしまったが、遅ればせながら日本史を勉強する気持ちになった。
まあ、ヒマになったのが一番の原因なのだが。(^^ゞ
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ぼくが持っているいくつかの疑問の中に、武士の登場がある。
平安時代の末期に貴族政治から突如武士が出現したように教えられた記憶があるのだが、ぼくにはそれが納得できない。
朝廷政治といっても、権力には必ず「軍事力」が背景になければならないと考えるからである。
現実社会はそんな綺麗ごとではないはずだ。
武士の誕生で検索すれば、多分すぐに結論が得られるのだろうけれど、それではいかにも安易なので、遠回りなアプローチを試みることにする。
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以前から気になっていたのは、「白村江の戦い」である。
663年の出来事で、当時の日本は大化の改新(645年)と任申(じんしん)の乱(672年)の間である。
当時の日本は天皇支配を確立する過渡的な状況であり、要するにバタバタしていた時代である。
そんな日本が、朝鮮の百済(くだら)を助けるために42,000人の軍隊を800隻あまりの軍船に乗せて海峡を渡り、唐・新羅連合軍と戦ったのである。
結果はご存知の通り、日本・百済連合軍は完敗を喫するのであるが、それだけの兵力を当時の飛鳥時代に外国に派遣できたことに驚かざるを得ないのである。
飛鳥時代というと、ついこの間まで古墳時代だったのである。
驚きでしょ?
先日「元寇」について勉強したばかりだが、それに先立つ600年前に日本は国家存亡に関る戦いを経験していたのである。
唐による日本占領が現実味を帯びていた事件なのである。
ああ、それなのに歴史の勉強でこの白村江の戦いに触れる機会は殆どないのが不思議であり、残念なことである。
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ぼくは、これだけ大きな戦いが出来たのであるから、当時の朝廷は強い軍事力を持っていたはずだと確信するのである。
武士が突然変異のように登場したとはとても思えないのがその理由である。
・・・つづく。