こんにちは!江戸すずめですクローバー

 

神奈川在住、晩婚、子なし、

夫と二人暮らしのアラフィフOLです。

ココロもフトコロも豊かな極楽隠居を

目指して模索中のあれこれを綴っています!

 

自己紹介はこちらカキ氷


今年は戦後80年。


というわけで、

祖父と戦死した大叔父ふたりの

軍歴に関する資料を取り寄せたときのことを

振り返っています。



軍歴資料の取り寄せ方と

大叔父②政光さんの「死亡者原簿」のお話し↓





  大叔父①の「陸軍戦時名簿」を読む



さて、

もうひとりの大叔父①「春光さん」は

祖父の5歳下の弟です。



春光さんに関する資料は、

「陸軍戦時名簿」と「履歴書」が

鹿児島県の社会福祉課から送られてきました。



↑陸軍戦時名簿。昭和20年1月で記述が途切れています


↑履歴書。恩給をもらうときに提出した資料らしい…



春光さんはね、

陸軍の飛行兵だったんですよ。


祖父の家にあった遺影も

飛行兵っぽい帽子を被って写っていました。




で、

「陸軍戦時名簿」の履歴のなかで

目に止まった部分を感想とともにご紹介します鉛筆





昭和15年(1940)2月、

広島で第9航空教育隊に入営


ふむふむ…

広島で訓練を受けたのね〜

このとき21歳、二等兵からのスタート。




続いて、



同年4月、第2中隊に配属替え

5月14日、暗号手修業を命ず

8月16日、暗号手を命ず

8月20日、第97飛行場大隊に転属



とありましたびっくりハッ



「暗号手」ってなにこれ〜!?

初めて知ったけど、めっちゃ気になる!!



そういえば、

この戦時名簿の右上にも

「特業及び特有の技能」という欄にしっかり

暗号気づきって書いてあるんですよねびっくり




…でも、3ヶ月学んだくらいで暗号って

すぐ使えるようになるんでしょうか??


いやぁ〜、

存命だったらお話しを聞いてみたかったなぁ…




そう思ってしまったので、

暗号手について少し調べていたら、

大岡昇平の短編小説に『暗号手』という

作品がありました。


 

 


大岡氏は35歳で召集されて、

フィリピンのミンドロ島に暗号手として

配属されていたそうで、

そのときのことを綴ったものだとか。



このなかで大岡氏は

自身が使用していた暗号表や

暗号の組立と翻訳についても説明していて、


さらに

暗号手については、


暗号手に選ばれたことは悪くないことであった。

肉体的に楽な上に、

暗号班は通信隊と共に大隊本部に属するから、

最前線に出る歩兵より多少安全だろうと思われた。

(75ページ)


と述べています。



小説のメインテーマは

軍隊や会社といった組織と人の関係について

なんだろうと思ったのですが、


こちらのおかげで

軍隊のなかでの暗号手の立ち位置(?)が

なんとなくイメージできましたね〜






で、本題に戻りますが…


春光さんはこのあとはしばらく

中国に渡って治安警備や作戦準備に

あたったらしい。



昭和16年(1941)7月、

第10飛行団司令部に転属



以降は、中国・タイ・ビルマなど

あちこち移動しまくっていたようです。


どんな飛行機に乗ってたのかなぁ?

もう少し調べたらわかるかしら??





昭和16年(1941)11月15日〜

 昭和17年(1942)8月16日、

大東亜戦役勤務に従事す



なんだか…

ずいぶんとざっくりまとめられていますが

まだ日本軍がイケイケな頃ですねキョロキョロ


この頃、

春光さんは上等兵になっています。






以降、

戦局はどんどん悪化していく訳ですか…



昭和19年6月9日、

フィリピン集中のため中国を出発し、

6月29日にはフィリピン・ネグロス島の

バコロドに到着飛行機

移動は飛行機だったようです。




この年の8月には

伍長に昇進していました。




同年10月21日、

独立第10飛行団司令部編制改正

10月25日、バコロド発マニラ着



昭和20年(1945)1月20日、

第14方面軍に転属


残念ながら

履歴の記述はここで途切れています。





第14方面軍は、

フィリピン方面が担当地域なんですね。



ということで、またまた

アジア歴史資料センターのサイトで

部隊略歴を検索してみると

こんなのがありました。

でも、「松野大隊」だったかどうかは不明です…


出典:「南方.支那.台湾.朝鮮(南鮮)方面 陸上部隊略歴(航空.船舶部隊を除く)第4回追録」(防衛省防衛研究所所属)

1月20日のところに

北部ルソン島転戦のためイポ出発とあります。

転属してすぐ移動だったってことなのかなぁ?





そんななかで春光さんは、


昭和20年(1945)6月10日、

フィリピン・ルソン島イポにおいて戦死


とされています。





最期はどこの隊にいたのか、

どういう作戦に従事していたのか…


記録がないので詳細はわかりません。




戦死した場合、

戸籍には死亡場所や

戦死を届け出た部隊長の氏名や部隊名が

書かれることがありますが


春光さんの場合は

「鹿児島県知事報告」とだけあって、

部隊長の名前などはなく

手がかりがありませんでした泣




知り合いの研究者に聞いたところ、

防衛省防衛研究所戦史研究センター史料室

靖国神社の靖国偕行文庫(かいこうぶんこ)では

戦死者の遺族に対してレファレンスも

行っているそうなので

一度、問い合わせしてみようと考えていますが、


敗戦濃厚で通信もままならない時期のことですし、

状況を知るのは難しいかもしれません…汗




春光さん、26歳でした。




→続きます…