こんにちは!江戸すずめですクローバー

 

神奈川在住、晩婚、子なし、

夫と二人暮らしのアラフィフOLです。

ココロもフトコロも豊かな極楽隠居を

目指して模索中のあれこれを綴っています!

 

自己紹介はこちらカキ氷



ワタシは学生時代は史学科に在籍してまして

歴史が大好きですピンクハート


なので当ブログにも

「勝手に歴史のこと」として

気が向いたときに調べたことを

あれやこれや書き連ねております。



家系図作成のお話し↓






で、


家系図を作ってご先祖さまの

名前や生没年が明らかになってくると、

次に気になるのは


どういうひとだったのか?

何をしていたひとだったのか?


という部分じゃないでしょうか…





もし、

お家に古い書付けなどが残されているなら

そういうものを見てみたらいいですし、


手続きはちょっとめんどくさいけど

公的な文書を取り寄せることも

ひとつの方法かと思います口笛






例えば、

戦争に行ったひとなら軍歴証明とか、


勲章を貰ったことのあるご先祖さまなら

そのときの交付の文書とか、


役人や先生だったら任命されたときの文書とか

名簿とか…


公的機関にはけっこう色々なタイプの

文書が残されていますよ。






今年は戦後80年。



ということで、

祖父と大叔父ふたりの

軍歴に関する資料を取り寄せてみたときのことを

振り返ってみようと思います!






私がまだ小学生だった頃、

父方の祖父からは


・戦争中は中国に行っていたこと

・軍医の手伝いなどもしていたこと

・弟ふたりが戦死していること


などを聞いていましたし、



祖父の家には

従軍記章(じゅうぐんきしょう)があったので

陸軍にいた輜重兵(しちょうへい)だったことはわかっていました。


↑従軍記章というのは、

軍隊が従軍したひとたちに送った記念メダルみたいなもの。


↑輜重兵とは、

旧陸軍の兵科のひとつで、主に軍隊の糧食、被服、武器、

弾薬などの輸送を担う部隊をいいます。




  軍歴資料の取り寄せ方法



戦前の日本には

海軍と陸軍があったことはご存知かと思いますが、

(↑仲が悪かったのも有名ですよね…)

それぞれで請求する先が異なります。



なので、

まずは調べたい方が陸軍・海軍の

どちらに所属していたのか

本人や親戚にお話しを聞く、写真をみるなどして

見当をつけるといいと思いますニコニコ





で、

陸軍だったら

終戦時に本籍地のあった都道府県

問い合わせます。



PC各都道府県軍歴証明関係担当課(厚生労働省HPより)

https://www.mhlw.go.jp/content/12100000/001337320.pdf




海軍だったら、

厚生労働省に問い合わせてくださいね。


PC厚生労働省HP





祖父と大叔父の場合は

陸軍にいたことがわかっていて

終戦時の本籍地は鹿児島県なので、


まずは、鹿児島県の社会福祉課に

電話で問い合わせをしましたスマホ気づき



鹿児島県HPより↓




問い合わせの際には、


・氏名

・生年月日

・終戦時の本籍地


を聞かれるので、お手元に

メモしたものを用意しておくといいと思います。





で、

2週間ほどで折り返し連絡があり、

資料の有無を教えてくださいました。



結果はというと、


祖父 →資料あり

春光(大叔父①)→資料あり

政光(大叔父②)→資料ほぼなし


とのこと。




担当の方はとっても親切丁寧で、


さらに数日後、

資料を取り寄せるのに

必要となる書類についてのお知らせと、

「軍歴資料交付等請求書」の様式を

郵送してくださいました!




今回は3人分取り寄せするので

上記の請求書も3通必要でしたし、

続柄を証明するための書類も多めでした…もやもや




ざっとこんな感じ鉛筆

※戸籍謄本はコピーじゃなくて「原本」が必要でしたが、

あとで返却してもらえます!



①祖父の除籍謄本(死亡年月日がわかるもの)、祖父と大叔父ふたりの続柄と生年月日が記載された戸籍謄本


②祖父と父の生年月日と続柄がわかる戸籍謄本


③父と私の生年月日と続柄がわかる戸籍謄本

(親子関係がわかるもの)


④私の戸籍謄本

(結婚により改姓していることがわかるもの)


⑤私の運転免許証の写し

(住所、生年月日がわかるもの)


⑥返信用封筒



これらを社会福祉課に郵送して、

待つこと約1ヶ月…






これまた丁寧な送付状とともに

待望の資料の写しが送られてきました〜メールキラキラ



↑これには祖父の軍歴がみっちり書かれていました!



3人とも陸軍だったのですが、

資料の残り具合がちょっとずつ違っていましたね。



祖父→「陸軍戦時名簿」

春光(大叔父①)→「陸軍戦時名簿」と「履歴書」

政光(大叔父②)→「死亡者原簿」



「陸軍戦時名簿」は陸軍が当時作成したもので、

所属部隊の履歴が詳しく書かれています。


長くなるので

こちらについてはまた別途記事にします〜


ちなみに発行の手数料は無料でしたよ口笛

ありがたや…



  大叔父②の「死亡者原簿」を読む



で、


大叔父②の「政光さん」については

履歴が記載されたものがなく、

亡くなったことがわかる名簿の一部を

交付してくれたようです…汗



↑政光さんの「死亡者原簿」。白抜き部分は他人の情報かと…



政光さんは、祖父の2歳下の弟です。




この資料からは、

「台湾歩兵第一連隊」に所属し

最終の階級が「上等兵」だったこと、


昭和12年10月21日に

「中華民国羅店鎮」で戦死したこと、


それしかわかりません。





なんて素っ気ない……泣






なので、

所属していた

台湾歩兵第一連隊(第48師団)について、

アジア歴史資料センターのサイトで

部隊の行動略歴を調べてみました。


↑アジア歴史資料センターはインターネット上の資料館です。

国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所から提供されたデジタル資料を公開しています!




出典:「インドネシヤ方面部隊略歴」(防衛省防衛研究所所蔵)

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C12122488100




すると、

ちょうど真ん中あたりに

昭和12年9月15日から11月12日まで


 羅店鎮附近の戦闘並びに

 同北方地区に於ける防御戦闘


と書いてあります。





羅店鎮というのは

上海近郊の地名だそうで。




この前の足取りは不明ですが、

政光さんは台湾歩兵第一連隊にいて


昭和12年9月12日に台湾(基隆)を出航して、

14日に上海附近に上陸して、

15日には戦闘がはじまって…


そこから1ヶ月ちょっとして

戦闘中に亡くなったことがわかります。





ネットなどで見つけた

回顧録的なものを読んでいると

この羅店鎮での戦いは、

かなりの激戦だったようです。


部隊略歴にも「防御戦闘」とあるので

被害も相当大きかったのだろうと思います。




祖父の弟、政光さんは当時21歳…




未婚だったはずだけど

好きなコとかいたのかな?


歩兵だから砲弾か銃弾にやられたのかな?


家族には戦死の報告しかなかったそうだから

遺体や遺品は回収されなかったんだよね


最期に何を考えたのかなぁ…



そんな考えがふとよぎります。





セピア色のぼやけた遺影でしか

見たことのない大叔父で、


今回取り寄せた資料では

たった1行しか記述がなかった訳ですけど…



まわりの状況が少しでもわかってくると

存在がぐっとリアルに感じられたのでした。




→続きます!