母の介護、かいまみる夢の源 | 夢のまにまに

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夢は大いなる自己、Selfからのメッセージ。夢やアート、植物との交流を通して、自分を愛しあなたのビジョンを生きるためのヒントをお伝えします。

こんにちは。
~ 夢との日常を綴る ~ Tomokoです。

 

 

大変ご無沙汰してしまいました。
 
 
前回お目にかかったのは立秋。
早くも季節は巡り立冬を過ぎ、
師走の足音がひたひたと迫りくる頃となりました。
 
 
 
私は91歳の母と暮らしているのですが、
つい最近も母が転倒し顔を切り、
救急車で運ばれるというアクシデントが起こりました。
 
 
幸い骨折などの大事には至りませんでしたが
10針を縫うことに。
 
 
快方に向かいホッとする間も無く、
今週末から96歳になる母の姉が介添人を伴って宮崎から上京する予定。
 
 
この流れ…嫌な予感…
 
 
というのも昨年の今頃、
風邪の抜けない母を訪ね叔母が上京。
親戚一同が会し叔母は満足して宮崎に帰ったのですが、
母の体調は一向に良くならず、12月の半ば咳喘息と肺炎を起こしたうえ、
胃酸が食道を洗い内部で出血。救急搬送され入院するという事態に。
 
 
安静にする必要性から寝たきり状態になった母。
混乱して言動も怪しくなり…。
救急病院だから長く置いてはもらえないのが通例らしく、
回復には程遠い状態でも退院日が設定され、
退院するには体を拭いたり清潔にする術を家族が習得することが不可欠…
と看護師さんに言われ。
 
 
退院するまで毎日看護師さんから特訓?を受けることに。
年末年始のしつらえをしながらの病院通い。
晦日も大晦日も三が日も、慣れない格闘をしていたっけ。
 
 
食の入らない母の状態から、
今度は病院側から退院予定がキャンセルに。
母のベッドを訪ねた医師から、このままの食事量であれば、
人工的な栄養をチューブで直接胃に送り込む胃瘻をするか、
このまま自然に死を迎えるのか、どちらかの選択をして下さいと。
 
 
え? 
胃瘻?
このままだと死んじゃうの?
 
 
本人の意志とは別に、
家族はこうした決断に迫られ続けるものらしく、
私も食と命が直結していることや、人にとって
どういう最後が幸せなのだろうかと深く深く考えることになりました。
ただ考えるだけでは終わらないのが現実で、
何かを選択したらその状況を引き受ける覚悟が求められてくる…。
その覚悟をもって対処する行動を起こさなくてはならなくなる。
 
 
母の中に残る命の強さを私は見ていたので
まだやれる、まだ他にも道はあるはずだと思い続けていました。
母が膠原病を患った時の主治医の先生にご相談をしたところ
リハビリを含め先生の病院で引き受けてくださることに。
救急病院の医師とよく話し合い円満な形でね…と。
 
 
救急病院の医師、看護師、ソーシャルワーカー、ケアマネージャー、姉、私…
胃瘻か自然死か、病院も施設も他には行き先はない…と
母の今後について話し合いをしているまさにその時、
ご相談した先生の病院からベッドが空いたという知らせが入り…
転院することに。
 
 
転院先でもいろいろなことはあったけれど
今は家で過ごす母。
日に日に弱くなっているという現実。
 
 
往診の先生からも胃瘻か自然死かという話をされるけれど、
胃瘻には踏み切れずにいる…。ということは
自然な死を選択していることになるのかもしれないけれど、
看取りの覚悟が私にあるかといえば
そこまでの覚悟には至っていない。
 
 
夢とは程遠い現実を送っているように感じられるかもしれないけれど、
死を考えることは生きることを考えることになり、
どうして生まれてきたのか、生きる目的は何なのか…と
思いを巡らせることにもなり、自分と大いなるものとの関係性だけが
太く大きな一本道のように見えるようになる…。
 
 
夢は大いなる自己、
Selfからのメッセージとは言っていたけれど、
あまた星の輝く壮大な宇宙に一人、
大いなるものの声を聞く一つの扉として、
私にとって夢はよりリアルなものとなり立ち現れてきているのです。
 
 
長くなりましたね。
最後までお読みくださってどうもありがとうございます。
 
 
毎日とはいきませんが、
更新していきますので今後ともよろしくお願いいたします。