先日、財務省の諮問機関が出した「2040年までに私大を4割削減すべき」という提言。
18歳人口が110万人から80万人へと急減する現実を前に、定員割れの大学への助成金を切り捨て、成長分野へリソースを集中させるという方針だ。
大学でありながら四則演算から教えるような現状を考えれば、この淘汰の流れは必然とも言えるだろう。
大学1年生の長女と、小学3年生の次男。
この10歳の年齢差を振り返ると、息子たちが大学生になる7年後、9年後の世界は、今とは全く別の景色になっているはずだ。
実際、この10年足らずの間だけでも教育環境は激変した。
幼児教育・保育の無償化に始まり、高校授業料の無償化の拡充、児童手当も第3子以降の加算増や22歳までのカウント延長など、以前に比べれば手厚い支援が整ってきた。
自治体単位で見ても、子ども医療費の助成拡大や給食費の無償化など、家計への負担を軽減する動きは確実に広がっている。
だが、これらを単なる棚ぼたとして消費に回してしまうと痛い目にあう。
我が家では、こうした支援で補填された分はすべて積み立てに回している。
本来であれば自分たちで払うべき学費を、国や自治体が一時的に支援してくれているだけだ。
そう割り切って管理しなければ、浮いたお金はいつの間にか生活費に溶け込み、肝心なときの教育費は湯水のごとく消えていくからだ。
具体的にどの大学がどう縮小されるかはまだわからないが、長女の時とは進学の前提が大きく変わることだけは確かだ。
少子化によって大学が再編され、AIが既存の仕事を奪っていく未来。
追い風となる支援制度を賢く利用しつつも、特定の仕組みや今ある職業の安定性に依存しすぎるのはリスクでしかない。
結局のところ、最後に身を助けるのは、自力で情報を精査し、学び続けられる地力があるかどうかだ。
数年後に社会の常識が塗り替えられたとしても、状況に合わせて自律的に進路を修正できる強さをどう育むか。
2040年を目前に、大学全入という言葉の裏で質の選別はすでに始まっている。
ニュースの数字に振り回されるのではなく、現実を直視し、どんな荒波でも乗りこなせるだけの個の力を常にアップデートしていきたい。

